映画「ハルウララ」と最近思う「人間万事塞翁が馬」と言う言葉

 人間万事塞翁が馬(にんげんばんじさいおうがうま)

 占いの得意な翁(おきな=おじいさん)が、国境の塞(とりで)の近くに住んでいました。
 ある日、その翁の馬が逃げ出して、北の地へ逃げてしまいました。周りの人々が「残念ですね」と、なぐさめると翁は、
「いや、このことが福になるかもしれない」と言いました。それから数ヶ月後。なんと、その翁が言ったとおりに、逃げた馬がもどってきました。さらに、すばらしい名馬も一緒に連れて帰ってきたのです。
 周りの人々が「良かったですね」と、お祝いにいくと翁は、
「いや、このことが禍(わざわ)いになるかもしれない」と言いました。
 翁の家にはどんどん名馬が増え、翁の息子は乗馬が大好きになっていきました。ある日翁が言ったとおりに、息子が落馬して股(もも)を骨折する重傷を負ってしまいました。
周りの人々が「かわいそうなことになりましたね」と、お見舞いにいくと翁は、
「いや、このことが福となるかもしれない」と言いました。それから1年後に、戦争が起こりました。近くの若者の10人のうち9人までが死んでしまうようなかなり悲惨(ひさん)な争いとなりました。
 ところが、息子は落馬のせいで足が悪かったため、戦争に出ることはなく無事でした。
 やはり、翁が言ったとおりになったのでした以上の話から、運命の吉凶は予測できないことという意味の人間万事塞翁が馬が生まれました。(故事成語一覧より)


 私はこの故事が好きである。確か高校生の古典で習った時、その後の話をもっと知りたいと思った事を記憶しているが、この歳になってこの言葉の深い意味がやっとわかるような気がする。誰にでもどんな事にも当てはまり落ち込んだ気持ちを勇気付け、また驕る(おごる)気持ちを戒めてくれる言葉である。取り方によっては「だから何?」と思われるかも知れないが、先の事は分らない事の「悟り」を教えているような気がするのである。


 私達は何かに付けマニュアルを探し求めようとする。そのマニュアルが誰にでも当てはまるものではないし、万能薬ではないことも知ってはいるが、たまたまでも当てはまると「すばらしいマニュアル」となり、同じ物でもある人には当てはまらず更に悪くなったりするとその人には「最低最悪のマニュアル」になってしまう。それは人や物、全ての事に当てはまる。塾で教えてもらったやり方で成績が上がれば「すばらしい先生、すばらしい塾!」になり、同じように習っても結果が出ないと(本人は大した努力もしていない)「大したことのない先生、大したことのない塾」になってしまい、本人が勉強しないことを棚に上げ、その話のみが一人歩きしてしまう。でも、成績だって悪い時もあれば良い時もあるように、それはこつこつ日々努力していて悪ければ次がんばろうと思えるし、良ければ次もがんばろうという気持ちになれるのである。それはまさに「教育万事塞翁が馬」と言えるものかも知れない。

 限りある命を削って生きていく人生、先の事は分らないから日々一生懸命に生きていけば「悪い事」があっても、「良い事」があっても「人間万事塞翁が馬」と初めてわかる境地になれる気がする。私もそんな「翁」なりたいものである。できれば「元気な翁」に、できれば若いうちに・・・そして、今公開されている高知が舞台の映画「ハルウララ」を観て「馬」と人間の関わりの深さにこの故事が、午(うま)歳の私の心に奇妙にオーバーラップしてしまった。人生、勝ち負けだけがすべてじゃないんだ・・・