古いデジタルと新しいアナログ

先日、筑紫哲也氏のテレビ番組に永六輔氏が出演し現代の世相について話していた。ライブドアのH氏の話になり「ラジオがアナログで古く、インターネットがデジタルで新しいなんて誰がきめたんだ!?アナログもデジタルも昔から存在し今まで共存してきた。例を言えば将棋はアナログだが碁はデジタルである。ラジオがアナログで古から消えていくのか!?もう20年も前からラジオ番組はインターネット配信されているし、地震の時まずラジオを聴こう、とみんな言っているではないか!ふだんからラジオを聴いていないといざという時にはラジオは聴けないんだ!」

 なかなか熱いコメントを話されていたが、私はH氏がどうのこうのと言うつもりは毛頭ない。ただラジオと言う存在について言及するならば私は永氏に賛成である。私は中学時代アマチュア無線に凝り国家試験の免許(JA5DPH)を取って、ほとんどただで県外の方と今で言う「チャット」をしていた。電波は外国まで飛び雑音の中必死で相手の言うことを聞き、交信したものである。よく考えればその時から英語を話していた。ラジオはハンダゴテを使い回路図を見ながらほとんど自分で作った。真空管トランジスタ、そしてゲルマニュームラジオ。アンテナを高く張り高知では聞けなかった県外の深夜放送を聴いた。今のニッポン放送社長も当時人気のDJだった事を高知でお知りの方は、かなりのラジオファン。
 そんな事があってかラジオには全く抵抗がなく,ラジオ英語講座を定期的にわけも分らず聴き始め、長く聴いた事が今の私の英語の土台になっている。語学学習には「聴く事」が一番大切であることは、いくらデジタル時代になろうが変わらない。でもラジオがない頃は語学学習は直接習うか留学するしかなかったから、ラジオは出現したその頃最先端のデジタルであったと言える。そして時代が進みテレビ時代、パソコン時代が到来して今ではラジオが古くなってしまったように思えるが、本当に不要になればデジタルでも消滅していくだろう。ポケベルがそのよい例である。

 四月、新学期になって4月号のラジオやテレビ講座の本がいちばん売れるそうであるが、夏になる頃は半分以下になり、冬には一割を切ると聞いた事がある。春のやる気は世間の人はなかなか機械のようには持続できないようで、いつになっても人間は常に新しい気持ちを持ったアナログなのである。だから世の中おもしろい! Don't you think so? (そう思いませんか?)