為になるお話

 私の尊敬する塾経営コンサルタントの方のお話です。今回も多くを学ばせていただきました。

 「あなたの塾の特長は何ですか?」
という問いに対して、ほとんどの塾が「面倒見の良さ」を挙げます。ほとんどの塾が主張する事柄が「特長」になる道理がないことは、すでに指摘しました。
「他を圧倒する面倒見の良さ」を発揮する必要があります。ところが、多くの塾が言う「面倒見の良さ」は、想定の範囲内に収まっています。
例えば次のような主張です。
「当塾は少人数クラス制ですから、面倒見よく指導ができます」「当塾では、生徒のノートまでチェックする面倒見の良さが特長です」「当塾は講師:生徒=1:2の個別指導ですから、面倒見の良い指導ができます」
 もちろん、これらの方策(システム)を否定するものではありません。ただ、これらは全て保護者から見れば想定内なのです。あえて言えば「塾なのだから当たり前でしょ?」「高い授業料を払っているのだから当然でしょ?」と思われるだけです。保護者・生徒が「そこまでやるか!」と驚くくらいでなければ「特長」とは言えませんし、口コミ・評判を作り出すこともできません。
 そこで以前、「朝5時からの早朝特訓」に代表される「そこまでやるか!対応」を紹介しました。そして次に、その対応を「形」にして相手(地域・見込み客)に伝える重要性をお話しました。ところがまだ、「形にして伝えることの有効性」について説明不足だったようです。とある塾経営者から、「そこまでやれば、無理にアピールしなくても伝わるのではないでしょうか。また、こんなにやっていると自ら主張するのは逆効果のような気がします」と、指摘があったのです。
 ちょっとテーマと外れますが、大事なことなので詳しくお話します。私が実践している「小さな工夫」があります。例えば、初めて訪れた会社の会議室で打ち合わせをするとします。大抵の場合(いえ、間違いなく)お茶やコーヒーを振舞われます。私は退室時、「ごちそうさまでした」と手書きした名刺(事前に準備して胸ポケットに忍ばせています)をそっと見つからないように(ココが肝心です)カップの下に挟んでおきます。ゲストにお茶を出すのは、事務の女性の役目であることが多いものです。当然、私が帰った後、飲み残しのカップを片付けて洗うのも…。正直、赤の他人の使った食器を洗うのは、楽しい仕事ではないですよね。そんな役目をしてくれる事務員さんに御礼を言いたくても、彼女は私が退室した後にしかやってきません。そこで、感謝の気持ちを形にして伝えるために、「ご馳走様でした」と手書きした名刺を置いてくるのです。その名刺を見て、ちょっとでも報われた気持ちになってくれたら…そんなささやかな思いです。
 実は、こうした行為を始めたのは数年前に左腕を骨折してからです。最初は左腕でよかった。利き腕の右手が使えるのは不幸中の幸いだと思っていました。確かにその通りです。ところが右手だけだと、当初思った以上に不自由なことに気付きます。缶コーヒーのプルトップ缶が開けられない。シャンプーボトルの頭をプッシュしても、出てくる液体を受け止められない。マヨネーズのキャップが回せない。トイレットペーパーを引っ張り出しても切ることができない…。その時、左手が重要な役目をしていることを、身を持って実感したのです。「左手の支えがあって初めて、右手は自由自在に動く」もしかしたら、社会の仕組みも同じかもしれない。
 ビジネスの最前線で華やかに活躍する人の向こうには、何人もの「左手の役割」を担っている人がいる。ややもすると脚光を浴び、称賛されるのは前線に立つ人だが、それを支えている人の存在を忘れてはいけない…そう気付いたのです。
 それまで当たり前のように受けていたサービスにも感謝の気持ちを持ち、何とか伝えたい。それが、「ごちそうさま名刺」を始めた理由です。この名刺は思わぬ副産物を生みました。某大手企業に訪問した時も、同じように名刺を置いて行ったのですが、その名刺を秘書の方が気付き、支社長に報告してくれたのです。それをきっかけに、その企業から何度も講演・研修のオファーをいただくことになりました。
「言わなくても、いつかは伝わる」は一面では正しいと思います。しかし、思いを早く・正確に伝えることは、日常生活の中でも重要なことです。ましてやビジネスの世界では、それが雌雄を決することになりかねません。やはり、思いは形にして表すべきなのです。
 「自らの行為を誇るのは逆効果」という指摘は、ある面、正しいでしょう。謙虚・謙譲をもって美徳とする日本社会では、過度な主張は敬遠されます。ただ、あまりにも奥床しすぎるのは考え物です。また、ことの本質は別のところにあります。確かに、現塾生に「塾(私)はこんなにやっているのに…」と主張するのは逆効果です。成績の上がらない生徒(その保護者)に対して主張すれば単なる言い訳になりますし、暗に「生徒の努力が足りない」と主張していることになります。実際、3者面談時に「君にやる気が見えないから成績も上がらない」と堂々と?説教をする塾教師がいます。自分の役目(塾人としての使命)を棚に上げた主張です。こうした塾がいくら「面倒見がいい」と主張しても支持されることはありません。
 自塾の有意点の主張が地域に好ましく受け止められるかどうかは、表現力・コミュニケーション能力の問題です。「逆効果にならない方法」が必要です。
さあ、後期が始まりました。気分を新たに、ますますご活躍ください。