「塾道開眼!」塾とはセーフティーバントと見つけたり!

          

  先週岡山での塾長研修に参加し、初心に帰って教室運営に従事できている。目的意識をはっきり持って1年後、3年後、5年後の自分や教室の姿をイメージしこのようになりたいと具体的に紙に書き、しっかりインプットしてきた。

  今まで場当たり的な運営や指導が中心になっていた事を反省する。すぐ目の前にあるテスト結果をまず考え、生徒一人一人の個性や能力、将来性などをあまり考えずに、目先の事だけに突っ走って来たのだ。高校受験は必ずやって来る。合格するような指導をするのは当たり前かもしれないが、あまりに塾が何もかにもやってしまって、生徒は与えられた事しか出来なくなってしまっているのではないか?と大手塾のやり方を見ていてよく思ったものである。逆に塾なしでは勉強できない生徒を作ってしまっているのである。本来学習とは自分でその目標に向かってこつこつ努力していき、躓いたり悩んだりした時も側に居るものがアドバイスを与えるくらいで、自分で解決の道を見つけるものなのである。やってみてだめだったら違う事を試してみる、それでダメだったらまた違う事をやってみる・・・先人たちはそうやって、だれも歩んだ事のない世界を切り開いていった。
  危ないからと言って子供にナイフを持たせない、自転車に乗らせない、子供達だけで遊ばせない親がいる。いつまで側にいるのだろう。ナイフは間違って使うと怪我をしてしまう、痛いと知っているから決してそれで人を刺したりしなくなる。自転車に乗り始めは転ぶものである。転んだら痛いから転ばないように乗ろうとする。子供達同士で遊び彼らなりの世界を形成し、その中で社会のマナーやルールを学ぶのだ。

  人間の寿命が延びた分人間の成長が遅くなった感じさえする。戦国時代だったら50歳の私は死を直前にした、老人かも知れない。しかしそんな自覚は全く無い。若作りしているつもりも無いが、友人の中には歳相応以上に見える人も少なくない。孫が居る人もいる。別に早く歳を取りたいわけでもなく孫がすぐ欲しいわけでもないが、精神年齢は常に若者でいたいのだ。ある人が言っていたが、体型が変わらずヘアースタイルを変えなければ、その人のイメージは若いときのまま保たれるようである。そういえば俳優なんかで意識的にそうしていると思われる人は多い気がする。


  研修参加の話から変な方向に話がずれてしまったが、生まれた時から人間は寿命を削って生きているのだから、無理せず自分の気持ちに正直に人生を送らればそれだけで幸せなのではないかと思え始めた。ある塾長が「バント人生でも僕はいいんです・・・」と言っていた。自分が犠牲になっても他人を生かしたい・・・」すばらしい!・・・ふとすごい事に気がついた。バント人生も練習すればセーフティーバントが出来るようになると・・・自分も犠牲にならず他の人が、もっと有意義に生きられる手伝いが出来ればずっと幸せだろうと思う。塾の仕事の目的はまさにセーフティーバントではないだろうか!・・・「塾道開眼!」だ!