マクロ(大)とミクロ(小)の世界  私はミドル(中)

         今朝の新聞のニュースに、土星探索機から送られてきた人類がまだ見たことも無い、土星の上部から撮影された写真が掲載されていた。光が当たらない土星特有のリングが切れて見えるのである。探索機は10年も前に地球を出発しこの光景を写しに来たのだ。
         無限に拡がる大宇宙の研究は、我々にどのような事を具体的にもたらしているのか分らないが、我々の住む地球発生の起源に触れることができるようである。宇宙はどこに行き止まりがあるのだろう?その先はどうなっているのだろう?なって考えると訳が分からなくなってしまう。光の速さで進んでも何万年も掛かる距離にある星が、生まれたとか死んだとか、その光は何万年前に起こったことなのである。それが見えても現在に存在する私達は何万年もの過去の出来事を目の当たりにしているのだ。光と時間と空間の関係・・・凡人の私には分るはずもないが、それらの解明に一生をささげている科学者がいるのも事実なのだ。


          はたまた、県立美術館では「人体の不思議展」をやっている。明日子どもと見学に行く予定であるが、我々の体の中のこともかなり分ってきたようだが、まだまだ分らない事が多い。現実に存在するのだから宇宙と違って現代の科学をもってすればすぐ分かりそうなものだが、これがなかなか分らない。目に見えない精神的な事になってくると、皆目未知の領域が増えるのである。人体を「小宇宙」と言った人がいたが、精神構造から肉体構造は切っても切り離せない関係にある。このわからない世界にも一生をささげる人間がいる。

   人間とは分らない事が好きな動物のようである。大げさな題をつけた本日のブログであるが、結局今回はこんな事しか結論付けられなかった。私はマクロ(大)にもミクロ(小)にも属さないミドル(中)の人間であることを自覚したのであった。


この追伸までのブログの要約が、高知新聞3月10日付け高知新聞読者欄に掲載されました。

<追伸>予定通り「人体の不思議展」に行って来ました。その前に県が主催の伊能忠敬の作った地図を見に行きました。両方ともすごい人でしたが、私には伊能忠敬の作った地図も十分マクロでした。人体は脳みその実物大の模型?がすごく小さいのに、ずっしりと重たかったのが印象的でした。しかし、これほどの人を高知で私は久しぶりに見ました。知識に飢えているのでしょうか?いや、一種の流行のような印象さえ感じるほどの賑わいで、私と同じく世間話のねたのひとつと、この会場に来ることの自分がインテリ層に入っているような、子どもを連れて来て何か子どもの将来のプラスにならないだろうか・・・と考えているのではないかと思いました。正直言って人体は、あまりおもしろいものではありませんでした。
     これからの高知の商売、これからは話のネタになるようなちょっとインテリジェンスをくすぐる親子連れで楽しめる行事が流行るようですね。東京にある子どもが働いたり、稼いだそのお金を使えて世の中の経済の仕組みを学習できる、テーマパークが流行っているそうです。私が先程提案した内容にぴったりだと思います。