なんともやりきれない話

      わが子への虐待が全国的に問題になっているこのごろ、とうとう高知でも下記のような事件が起こってしまった。それも私が塾を始める前に英語を教えていた、教育委員会施設のごく近所にある小学校で起きてしまったのだ。
 クラス担任はさぞ無念であったろう。しかし、家庭のことにはなかなか学校の先生でも立ち入れない事が多い。私も経験があるが、生徒に良かれと思って行った指導にも保護者に「迷惑だ、止めてくれ!」と言われると、外部の者はどうしようもない。その親が内縁関係なんてわかるはずもないのである。亡くなった子どもの母親はこのような行動を行う男に、何もするすべは無かったのだろうか・・・今はかなり強硬な手段も行えるようになって、子どもを保護できるようになってきたようだが、やはり学校や担任は関与するにも限界がある・・・なんともやりきれないが、犯人は厳重に処罰されるべきだし、母親は大きな重荷を一生背負っていかなくてはならない・・・和輝君の冥福を祈ります。




高知新聞より

小5男児虐待で死亡 母親の内縁男逮捕 南国署
2008年02月04日13時50分
 三日夜、南国市大そね甲の大篠小五年、藤岡和輝君(11)が、意識不明の状態で高知市内の病院に運ばれた。南国署は和輝君を投げつけて虐待した傷害容疑で、和輝君の母親(31)と内縁関係にある無職、A容疑者(31)を緊急逮捕。和輝君は頭を強く打っており、四日午前九時四十五分ごろ死亡した。同署は傷害致死容疑に切り替えて調べている。
 調べによると同容疑者は三日午後七時半ごろ、自宅で和輝君を両手で持ち上げ、畳の上に二回投げつけた疑い。和輝君が頭から血を流し、意識がなくなったことから、約五十分後に母親と同容疑者が近くの南国消防署へ車で運んだ。和輝君は右硬膜下血腫などで心肺停止状態だった。
 同容疑者は「自分の問いかけにあいまいなことしか言わず、カッとしてやった」と主張し、容疑を認めているという。


「和輝君救えたはず」 南国市の児童虐待
2008年02月08日09時00分
 どす、どす。どす、どす…家から何度も聞こえてきた鈍い異音が、耳から離れない。南国市の大篠小五年生、藤岡和輝君(11)が母親の内縁の夫、寺岡省二容疑者(31)に虐待され四日に亡くなった事件で、約二週間前の一月二十日、大篠小の男性教員が和輝君を家に送っていた。この教員は、罵声(ばせい)が絶えない和輝君の日常をその時初めて見る。そして翌日、校長らに異常を訴えたが、学校の対応は変わらなかったという。「自分一人でも踏み込んでいれば」「学校の対応が変わり、児童相談所も動いていたら」。和輝君のこと、二十日のこと、言葉にならない思いを、あふれだすように語った。

 日曜日の二十日。雨の夕闇。和輝君宅は罵声がやまなかった。
 お前は人に迷惑ばっかり掛けてぇ、何でも人のせいにしよらあや。そんなことやき、友達ができんがよやぁ。外でいらんことをベラベラしゃべってきたがや、ないろうにゃあ。全部、親のせいにしゆろうがぁ…。
 「言葉が切れた間はどす、どす、と音が響いた。何かがぶつかるような音」と同教員。午後六時までは家に入れてもらえないと言っていた和輝君が、ようやく入れてもらえた後のことだった。
 外で様子をうかがっていた同教員は県中央児童相談所に携帯電話でかける。しかし電話口からは「今日は誰もいません」。警察には少し前に行ってきたばかりで、特別な対応はなかった。救いを求める場所が思いつかなかった。
     ■
 この日は、朝から雨だった。大篠小はPTA主催の祭りがあり、和輝君は午前八時ごろ、東門の所に一人でいた。同教員は「今日もおるなあ」と思った。「場所はいつも中庭の池かトイレ、掲揚台、たまに東門。雨の日もいる。夏休みも冬休みも、毎日いた」
 声を掛けておもちを食べさせ、ココアを飲ませた。午後二時半。祭りが終わり、人影が消えていく。インフルエンザが流行し、冷たい雨が降り続いていた。同教員は誘った。「先生ラーメン食べにいくけんど、一人でよう食べれんき、一緒に付き合うてくれんか」
 近くの店で和輝君はチャーシューメンの大盛をほとんど一人で食べた。食後、遊び場を探したがない。午後三時すぎ、家へ行った。
 和輝君が玄関を開けた。離れて見ていると男の怒鳴り声。「何で今ごろ帰って来るがな!」。和輝君は同教員に肩をすくめ、お手上げのポーズをした。「ほら、入れんやろうという意味です。怖がってる顔じゃない。日常なんだと分かった」
 二人で南国署へ相談に行き、呼び出してもらった児童相談所の職員とも会ったが、結局「夕方を待って家に帰る」ことになった。署を出ても行き場所はなく、午後五時ごろ、校庭に和輝君を残し、同教員が一人で交渉に行った。
 もう帰ってもいいですか、迎えに来てくれたりしませんか。その問いに男はすごみ「帰らしてくれや! 友達できんき外におらしゆうがや!」とわめいた。
 分かりました。もう帰ってもええんですね。和輝君に伝えます。そう告げて校庭に戻り、家に連れていった時に聞いたのが、あの罵声と、どす、どす、という音だった。
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 「この家庭に置いていてはだめだ」と感じた同教員は翌二十一日、校長や教頭、担任らに対応を急ぐよう求めた。「あれは何かやりゆうで」。しかし反応は鈍い。担任は和輝君の体にあざはないと言う。じゃあ、あの音は何だったんだ、と思ったが、会は「担任を中心に注意して見守ろう」というだけで終わった。
 同教員は、帰宅前に校舎を何周か歩こうと決めていた。やっぱり二十一日の夕方も和輝君は雨の中、立っていた。職員室でココアを飲ませた。和輝君は途中で泣きだした。「時計を気にしてた。ああ、六時まで家に入れんだけじゃなく、六時ぴったりに戻らんと怒られるのかな…と思った」。飲みかけのココアを残し、和輝君は帰った。
 翌日も雨の中にいた。今度は六時まで時間があったので、和輝君はココアを全部飲んだ。同教員はその後も毎日気に掛け、相談できる人を探し続けた。
 そして二月三日。事件は起き和輝君は四日、亡くなった。「救えたんです。防げたはずなんです。あの男に会ったら、まともじゃないとすぐ分かる。でもみんな動かなかった」
 和輝君がうそをついたから。あいまいなことを言ったから。容疑者は動機について、そう話しているという。報道を見て、たまらなくなった。「和輝君はうそなんかつかない。うそをついた、ということが、そのままにされては浮かばれない」
 取材に応じたのも、そのことを伝えないといけないからだと言うと、大きく息を吐き、手に持っていたくしゃくしゃのタオルで顔を覆った。