無知の知ならぬ無知の無知

 先日教室を閉めようとしていた時に、問い合わせの電話があった。あちこち塾に問い合わせてこの時間になったと言っていたが、英語を見て欲しいというものであった。小学生で小さい頃から英会話教室に通わしていて、4年生の今は外国人講師の話す英語も理解でき、今までの遊びではなく本格的な中学校英語に役立つ英語を、教えて欲しいというお話であった。「それだけのお子さんなら、今から英語を始めれば多分中学校で英語では苦労されないようになると思いますよ。」と話をしたが、少し気になる点をお聞きしたのだ。「中学受験はされるのですか?」「はい、○○中学に行かせようと学習塾もかねた英語を教えてくれる教室を探しています。」と言うことで「そうですか、・・・多分○○中学の受験に合格するための勉強と、本格的な英語を一緒に学べる教室はないと思います。この教室はお子さんが空いた時間に予約し勉強できるチケット制ですが、週1時間くらい来ることも出来ますよ。」と話すと「それで英語検定など合格できるでしょうか?中学入試までに英検3級を取らせ、中学生のうちに2級は合格させたいのです。」
 ・・・・何も言えない私であった。このお母さんは、受験に合格させたいのか、それとも英検に合格させたいのか・・・多分両方だろう。英検を珠算や硬筆の級と同じに考えているようである。英検もなめられたものだ。「入試の勉強をしながら中学英語準備の勉強は可能ですが、3級とか2級とかはそれぞれ中学卒業程度、高校卒業程度の英語レベルですから、今のお子さんにはまず無理だと思います。お母さんは英検を受けたことがありますか?」と聞くと黙ってしまったのだ。習っている今の外国人の英語講師がどのような指導をしているのか分からないし、英検などの情報を全く与えていなくて口先三寸で適当な事を言って学習させているのかも知れないが、無理なことは無理なのである。小学生に大学入試問題が解ける訳がないようなものだが、いまだにこんな無知の母親がいるのかと思うと驚いてしまう。
 英才教育のすべてを否定するつもりはない。運動や書道、伝統芸能・伝統技術、器楽演奏など体で覚えていくものは小さい頃からの英才教育が効果があるが、語学など頭だけを使うものは小さい頃いくら覚えても続けていかないとすぐに忘れてしまうのが、人間なのである。だから一度始めたら、大人になるまで続けることが肝要であるが、お金もかかりかなりの性根を入れて続けないといけないから、物に出来る人間は一握りだ。
 過熱する早期語学教育であるが、早く覚えたところで早く忘れてしまうのが落ちである。電話は早々に私が無理だと言って終わったが、あれから他の英語教室に電話をかけ、その条件を聞いてくれる塾を探しているのかも知れないし、断った私は悪者になったかもしれない。
 中には天才もいるかも知れませんが、今夜問い合わせがあった4年生は10歳(ten歳)なのはまちがいないかもしれないですが、大半は普通のお子さんたちです。良かれと思ってする過度の期待と教育がそのお子さんを曲げることもある事を、私は引き続き啓蒙していこうと思います。ことわざではないですが、子どもの時に天才、神童と騒がれても20歳過ぎればただの人になる事が多いことを知っておくべきです。その子の親も多分普通の人間なら、なお更でしょう。「知らない」という事を「知らない」のは、自分だけでなくて家族まで不幸にするものかも知れません。子どもを変えたいと思うなら親が変われ!とよく聞きますが、私は英語の早期教育を望まれるなら、お母さんも一緒に勉強しなさい!と勧めています。多分続かなくて、まだ必要ないことに気が付かれるものですが、出来ない親ほど多くを我が子に求め、大切な可能性を潰してしまいがちです。その時に必ずお母さんは「主人に似たから仕方ないか・・・」と思うのです。こうなると私の関知するところではありません。お子さんは出来ないお母さんに似ただけかも知れません・・・