自民党、大学受験でのTOEFL提言

 またまた出てきた我が国の英語教育に関する話で、明治以降いつも話題になる古くて新しい問題である。要は「使える英語」を日本国民に学ばせたい自民党の考えは良く分かるが、なんで今更TOEFL試験の導入だろう。
 まずこれの導入目的である「使える英語」について考える必要がある。日常会話程度であろうか、いや違う。政治経済面からスポーツ、芸能そして3面記事のゴシップまでもTVやラジオ新聞で理解でき、それらに対して英語で自由に意見を述べられる英語能力を付けることが最終の目的だろうが、それは日本人の我々が永い間日本語でそれらに浸かりきった生活を送っているからこそ日本語で可能な事で、それを英語で求めるのに何で日本の大学入試試験に米国や英語圏の大学入試受験資格であるこの試験を採用必要があるのか、という事だ。
 現在の大学入試センター試験では英語の試験にリスニングと筆記試験が導入されているが、かなりのレベルである。問題も我々が学生時代に学んでいた内容とはガラッと変わって、大変実用的な内容であるしレベル的にも大変良くできた問題だと思うから、これに付随した英語のスピーキング力を試験で求めれば、かなり自民党の言う「使える英語」のレベルに達すると思うが、そうなると今の高校での英語教育が根底からひっくり返り大混乱が巻き起こるであろう。
 現在英語教員には採用時に今までの筆記試験やリスニング試験と同様にスピーキング試験が導入されているから、今の英語教員は大体英語は話せる人材がそろっているから、その試験のノウハウを大学入試、高校入試、いや中学入試に導入すれば、我が国は10年で「使える英語」を話せる国民が激増するだろうが、そうなれば我々の塾業界の英語指導も一変するにちがいない。特に英語の強い塾は「わが世の春」を謳歌できるかも知れない。私としてはそうなるのなら歓迎ではあるが、英語を学べば学ぶほど日本人としてのアイデンティティー(日本人としての自覚・誇り)が強くなり、日本語の大切さを私は感じるのだ。そしてどんなに英語を勉強しても英語を母国語とする人間には英語では勝されないし、勝る必要もない。日本語で堂々と自分の主張が出来ることがまずは肝要である。仕事で多少なりとも英語に触れているからそんな事が言えるわけで、大学入試で高度な数学が解けても離れてしまえば中学の数学も分からなくなるのだから、英語にしてみれば英語を使えないと生活できない仕事に就くか、公用語にでもしない限り続けられないからまず不可能だろう。
 一部の小学生に県立中学に入るために作文の指導をしているが、公立高校入試に同じような英語の作文を課したらどうだろう、そうなれば出来る子はぐっと力がつくだろうが、逆に出来ない子への中学校の英語指導は大変で、結果的にはますます英語嫌いを作ってしまうに違いない。日本人が日本語で作文が書けないのに、英語で書けるはずはないのだ。そう考えると日本人の国語教育は今のままでよいのだろうか・・・。英語を学んだ私が言うのも変だが、英単語覚える以上に漢字検定3級〜準2級位の漢字を読み書きできるようになれば、日本にいる限りずっと生きる上で役に立つからである。だから私は小学生から英単語は聴して発音させ、漢字は読み書きをその学年分しっかりやらせている。
 人間が言葉を覚えるときは「聞く(聴く)」、「話す」、「読む」、「書く」の順番で学習していかないと、絶対その言葉・語学は身に付かないという「不変の黄金ルール」が存在する事を、英語教室を始めて30年言い続けてきた私だがhttp://www.geocities.jp/pegasus_kochi_sanbashi/room.html今の自分を客観的に考えた時、これからは今の英語指導にはもっと多くその「黄金ルール」を啓蒙してゆく方針を貫きたいと再確認した。保護者も生徒も英語を勉強する限りは、みんな英語が話せたら良いと思っているからで、その基礎となるいわば学習訓練である。
 田舎にいる一塾の講師がこれだけの事を思う今の英語教育の問題、政治家や教育関係者が集まっている場ではそれは多くの考えが出てくるだろう。人間それが必要となったならそれをなんとかクリアーしようと励むものであるから、嫌な者に無理に学ばせなくても良いようにも思う。TOEFLが導入されても英語が何不自由なく使える日本人が増えるとは、学校関係者も多分思っていない。試験のためのTOEFL講座をやっているところが忙しくなるだけだろう。憧れや夢や願望、または責務などが英語を話すことに見出せたなら気持は自然と英語学習に向かうだろうが私は、日本で生活してゆく上でもっと日本語を極めたいと今は思う。このようにワープロばかりで書いていると漢字が本当に書けなくなるのだ。はがきや手紙をきれいな手書きでいただいた時に、送っていただいた方の高い知性や教養を感じ日本語をこんな風に操れたらいいなと感じるのは、私だけだろうか・・・。