12/01 今日の八重の桜を見て

 新島襄が亡くなった今回の放送、大磯の旅館で横たわっている新島譲役のオダギリジョーの顔が、私にはキリストに見えたのである。耐え難きを耐え忍び難きを忍んで大学設立に奔走していた彼は、神の境地になっていたのかも知れない。こんな創立者の熱い篤い精神で設立された大学の現状はどうだろうか、果たして創立者が今の大学の姿を見て「よくやっている」と言うだろうか・・・とか思ってしまった。京都において観光産業以上に数ある大学の存在が、地域経済を支えていると聞いたことがある。小さかった単科大学が数万人の学生数を誇る総合大学に成長した話はよく聞くが、果たしてそれは創立者の願う発展だったのだろうかとか、時々思うのである。
 新島襄が始めた同志社大学も一番最初はキリスト教精神で設立された小さな英学校だった。その規模もはじめは教員2名生徒8名だったとか、多くの学問を欲する若者に門戸を開く大学であらなければならないが、21世紀には量より質の大学ができても不思議ではないと思う。多くの篤志家や市民から寄付を募り授業料無料の大学とかできないものか、その代わり入るのには勉強だけでなく人物的にも優秀でないと入れない。4年間寮生活で寮費も無料、給料がもらえる防衛大のようなシステムで文部科学省が経営するのだ。既存の国立大学とはカリキュラムがまったく違う学び舎である。
 私の塾も始めて30年近くになる。今日も入塾希望者があり今いない学校の生徒なので、新しくその生徒用の教材などを準備していた。各自の教科書にあった指導をモットーにする完全個別授業を約束しているからである。さらに今は入塾金も初月授業料も半額だから問い合わせは少なくないが、なにもかにもを塾頼みにするつもりで来た生徒は入れていない。英語などは30年もやっていれば出そうなところはわかるから、「ここは大事だから定期試験には出るよ」といってもみんなができないのである。さらには学校で「これを出すから」ともらってきたプリントを塾でもやるのだがそれもできない生徒、教えたノートの取り方も出来ない子はやはり伸びないし続かない。
 中には、それをしない生徒にうまく勉強をやらせるのが塾の仕事だという保護者もいるようだが、さも病院でもらった薬を医者が正確に飲んだかどうかをいつも確かめるなどしないように、その生徒の性格矯正までは塾の範疇ではないと考えている。結局はもらった薬をちゃんと飲み続ければめば薬が利いて病気が治るように、塾でやったことを最後は本人で咀嚼し理解できなければ、塾が悪いと他人のせいにしてやめてゆく生徒になってゆくのである。逆に素直に私の言うことを聞いて励んでくれた生徒はすばらしい結果が出ていて、それらの生徒の小学、中学、高校での成績は上がり、高校受験合格率はずっと100%である。このように私は外科的な手法よりも内科的な手法をとって、できるだけ生徒の負担の少ないような指導を心がけている。勉強のわからない生徒はぜひ来てほしい。早期発見早期治療のもと、本人に治したいという気持ちがあり私の教室のやり方を素直に続けるだけで、勉強わからない病は必ず治ります。 
 小さな限られた人数の教室で生徒中心に考えたあまり儲からないやり方でやっているから、私の生活もあまり楽ではなく近所の塾長の大きな高級車で通塾する羽振りのよさには到底かなわないから14年目の車にまだ乗っているが、私は塾の利潤を私用車などには使わず、生徒を一番に考えて教室の教材や設備に回していることを、誇りにさえしている。
 あと何年塾ができるかわからないが、私が伝えた塾ミシガン高知魂は教え子の中にきっと残っているだろう、そんな塾にしたい。受験シーズン、受験生以外もみんながんばっている!
 同志社を作った新島襄は、やはり尊敬されてしかるべき偉人だったのである。

<追伸>あるこのブログの読者から、「一度読んだ内容が次読むと変わっているので、小笠原さんのブログは毎回新しい発見があります。」というような内容のメールをいただいた。同じ書いて発表するなら少しでもよい内容をと何度も文章を吟味し推敲しているからです。昼書いた記事と夜書いた記事ではやはり違うから、書き直すのは朝の方が多いですね。「ありがとうございます。今後ともまたよろしくご愛読ください。」とお礼のメールをしたためた。