直して使う精神

 パソコンのCD-ROMドライブが調子が悪く壊れたパソコンの部品から調達し、入れ替えて生き返った。パソコンの組み立てはプラスのドライバー1本あったら出来るのである。私は中学生の時に電話級アマチュア無線技士の国家資格を取り、受信機や送信機を自分で作っていた。それも真空管トランジスタを基盤に半田付けするのであるから、今考えれば電気工作オタクだったのかもしれない。自宅の屋根の上に20mの短波用のアンテナを張り海外ともよく交信したもので、ハム用語があったが英語でやり取りを中学生の時からしていたのである。雑音の中から弱い海外からの電波を拾うので耳が鍛えられたのかもしれない。その後音楽に目覚め、レコードからいろいろなパートをコピーしていたのであるから、よけいに耳は鍛えられたと思う。
 話をもどそう、パソコンにつけるヘッドフォーンを修理していた。原因はスピーカーコードの断線がほとんどである。100均で買ったヘッドフォーンであるが、おろしてすぐに壊れたしまったのにはいささか頭にきて、2本程半田付けで断線を修理した。半田付けをする手間と労力は100円で新しいヘッドフォーンを買ったほうがずっと安くつくだろうが、それでも直して使いたい私なのである。損得勘定など関係ない言わば私の「美学」かもしれない。それ以上にクリップ式のLED小さな照明が電池切れになり、直そうと思って分解した。電池を100均で探したら1枚で100円、必要な2枚買っていると200円になり壊れた照明の新しいのを100円で買ったほうがずっと得であるとわかったのである。さすがにこの時は直すのをあきらめてしまった。
 新しいものを開発する力は必要だと思うが、メンテナンスに必要な直す技術もやはり受け継がれていくべきものだと思う。物により直すよりも破棄して新しいのを買えば簡単で景気も良くなるからだろうが、ゴミも出てしまう。私的な些細なことに、日本の今の経済状況の縮図を垣間見た気がした。