夢とは

 時々塾の研修会などで話題になる事柄です。ある評論家が「欧米では夢とは叶うものと説き、日本では叶わないから夢なのだと説く」と話していました。
 塾ではよく生徒の夢の実現へのアシストが大切だと話題になりますが、我々塾長の夢は何かと聞かれたら私は、「一人でも多くの塾生の成績が上がり希望の進路に行かせること。そしてその仕事を一日でも長く続けられる事。」と話します。ですから保護者の方と密に連絡を取り生徒を励まして、少しでも成績を上げ希望の進路に行けるように手伝いをしています。小中学生に今から何になりたいと聞いて「そうか!それには勉強しなければいかんから、塾の時間をもっと増やそう!」といっても説得力はありません。彼らの同じ夢が大人まで続くことはそうないからです。
 さらに塾の先生から中学生の時、「君には素晴らしいその才能がありその世界ではひとかどの人物になれるから、ぜひともそちらに進むように頑張りなさい!」なんてあなたが言ったから自分は変な夢を見てしまって、私の人生が台無しになってしまった…」なんて将来言われても困ります。塾の先生はあくまで「黒子」に徹するべきだと、感じています。でも私は「努力してなれる仕事には、その努力ができる人がなれるし、才能とチャンスがあれば大して努力しなくても、有名になっている人はいくらでもいるのが世の中です。その夢を語る塾長は、夢を語れる才能があるのかもしれません。夢を持つことは大切だと思いますが、あまりにその夢に人生が振り回されるようではいけないと思います。
 私も若い時何かビジネスをして成功した時に、会社の幹部を自宅の茶室に呼んで社長の私がお茶をたてながらその話の決済をするような夢を見て、若い時にその夢の実現のために何ができるだろうと考え、茶道を習い始めました。今思えば少し短絡的な考えですが、良い師匠にも恵まれ5年続きました。それ以来抹茶を茶席でいただくことはあっても人前で立てることはありません。始めたビジネスもすべて自分で責任が持てる範囲でやっていますから他に社員がいるでもなく、まして自宅に茶室などあろうはずもありませんが、5年間に培った茶道の経験は自分の文化的教養をすごく高めてくれたように思います。
 夢というのは叶う叶わないではなくて、少しでもそれに向かって努力を続けた事が、その人の人生にとって意義あるものになるものだと思うのです。夢のような夢を持つのは自由です。でもいきなりそれに向かうのではなくてその夢を実現できるには今何が間接的にもできるだろうか、というアドバイスを子どもにするのが大人の役目でしょう。
 英語が話せたら・・・という夢があるから英会話産業が発展します。ピアノが弾けたら・・・という夢からピアノの先生が繁盛するのです。でも現実にそれらを物にできる人は限られています。でもそれでいいじゃないですか、やりたかったことにチャレンジできたのですから・・・。弁護士や医師になりたいという若者がいたらとにかく目先の勉強をしろ!と言うでしょう。塾もなんで来るかといえば成績を上げたいからです。希望する進路に進みたいからです。スポーツ選手になりたい夢をかなえるために来る生徒は、多分いません。
 ただ厳しいクラブと学業を両立したくて来ている生徒はいます。現に昨年今年とインターハイに出場したアスリート高校生の生徒もいます。練習も大変でそれ以上に勉強も頑張っていて効率よくできるように、塾に来ているのです。不規則な練習時間で塾のチケット制が役立っていますから、私もその生徒の夢の実現のために協力していると言えるでしょうが、それは私が言ったのではなくその生徒が決めたことだから、言われるままに協力できています。
 夢は本人が何か始める動機にはなりますが、あくまで私たちが押しつけるものではなく、生徒自身が少しずつ自覚して実現に努力してゆくものでしょう。そうしないと続きません。「努力してさえすれば何にでもなれる!」は嘘ではありませんが本当でもありません。夢を教えるなら現実も教えるのが、私たちの役目だとおもいます。
あなたは「夢」について、叶うものか叶わぬから夢なのかどう思いますか?