あれから4年 東日本大震災

 3月11日でもう丸4年経つのですね、その日に流されたNHKのドキュメンタリー「あの日の映像と生きる」には、心が痛みました。その時の惨事の様子が映し出されてある方のお父さんの最後の姿が映されているのです。映した方は「なぜ助けに行かずずっと映していたのだろ・・・」と心を痛めていたようでしたが、その最後の姿が写っていた方のお子さんが、「その映像で親父の最後がどんなんだったかってわかるから、今ではその映像は宝物だ・・・」と話して映した人は「その言葉でやっと心が救われた・・・」と話していたのが、心に残りました。また安全を優先して避難場所に逃げたばかりにそこに逃げた人が多く亡くなり、逃げ遅れた自分が居たところのより高い所に逃げられて助かったりしている現実を目の当たりにすると、人間の生死なんて紙一重だと感じます。
 そんなこといったい何が決めるのでしょう?よく考えれば生まれてくること自体もそうかもしれません。生まれてくるから死ぬのです。生きるという事は死に向かって一直線に歩んでゆくことでもあります。だから必ず死ぬのに生きるのでしょう・・・・。むずかしいですね、こんなことを深く考えると哲学や宗教などの分野に入ってゆくのですね。
 阪神淡路震災では津波は起こりませんでしたが、古い家が倒壊し火事が起きて多くの人が亡くなりました。その時もし大きな津波が発生していたらどうなったでしょう、あんなにすぐには復興しなかったかもしれません。歴史を見ると鎌倉時代には天変地異が続き蒙古襲来などという国難まで起こりました。その原因としての末法思想が生まれて、そういう時に多くの宗教も発生しています。江戸時代にも幾多の天変地異があり飢饉なども起こっています。人類はその時よりは進歩しているはずですが、多くを自然現象に頼っていることは変わりません。いままた我が国に何か天変地異が起こったらどうなることでしょうか。原発がまた壊れたりしたら日本は住めない国になってしまいます。するとユダヤ教徒のようにどっかの国に集団で移住するようになるのでしょうか、まるで小説日本列島沈没の話です。原発でその便利さを享受してきたわが国民ですから、やはりその責任は自分らで負わなければいけないのかもしれません。いまこそ私たち国民が団結しなければならない時かもしれません。
 生徒の受験の結果が気になる私ですが、私の心配など普通の生活ができるから起こることなのです。普通の生活ができる喜び、ありがたさを再確認した3月11日でした。
※ NHKのドキュメンタリー「あの日の映像と生きる」の再放送は、総合2015年3月30日(月)午前0時55分〜1時44分(29日深夜)にあるそうです。
http://www.nhk.or.jp/special/program/index.html