大学での学生のための中学英語授業

 前回は大学入試問題が、それなりの能力があってもかなり難しいという話を書いたが、今回はあるメールニュースからの話題である。学校教育ではできない個人的な教育の一端を担う塾であるが、大学生になってこのようなレベルの教育を再びしなければならない大学関係者には、何と言ってよいのか言葉が見当たらない。もちろん英語力でその人のすべての能力が測れるものではないが、こういう実態を聞いてしまうと何のために大学に行くのか…という事をはっきりさせる必要はあると思う。私は今だから数学が分かるが数学を全くやっていない文型の大学4年生に、高校入試程度の数学の問題を解けと言っても無理かもしれないから、仕方ない事かもしれないか・・・。いや英語のbe動詞レベルは数学でいえば中1の最初の文字式計算レベルかもしれない・・・。最高高等教育機関での教育を修了した証である学士号であるから、最低限学士レベルの保証をできるような基準が必要だと思う。
 学士号などの学位も更新制にしたらどうだろう、大学を済んで10年ごとにその能力が保たれているかの検査があるのである。一般教養と専門分野とが選べてそのどちらかである程度の成績を取らないと学士号は剥奪されるのである。でも2回更新するとそれは永久資格になるとか・・・。国がそれをやれば更新料は新たな財源になるかもしれない。まずは公務員から始めるとか・・・成り手がいなくなるかな・・・。その試験対策として塾が新たな学士更新試験対策講座などを始めるだろう。新たな景気刺激策になりはしないだろうか・・・。

下記の後半の記事の「責任転嫁の応酬」は今の教育制度では仕方ないだろう。最後に言われた小学教員は「生んだ親が悪い」とは口が裂けても言えないだろうが、本音は言いたいかもしれない。

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中学の復習、大学の「定番」、英語の講義でbe動詞
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「動物園」の読み仮名に「flower」の日本語訳、456センチを10等分した値――。6月上旬、大阪国際大(大阪府守口市)の1年生向け授業「フレッシュマンセミナー」で、タブレットに次々と現れる問題に学生たちが向き合っていた。
出題内容は小学校レベルも少なくないが、指定校推薦で入学した男子学生(19)は「忘れちゃったことも多いから助かる」と屈託ない。併用する教科書は「友達の名前を覚えましょう」「教科書を音読しましょう」と、大学生活の心得を手取り足取り説く。一見、大学とは思えない講義風景にも、佐藤智明教授は「アカデミズムより作法。寺子屋のように基礎からやるしかない」と明快だ。
 多くの大学が新入生への対応にもがいている。高校進学率が98%に達し、大学も全入時代を迎え、あらゆるレベルの高校生が入ってくるためだ。就職できず進学関西のある公立高教諭は「高卒で就職できない生徒は大学に押し込む」と明かす。「学力上位層は大学、そうでなければ就職」という旧来の構図は崩れつつある。「be動詞は(教育内容として)大学水準とはいえない」。2月、大学の運営状況を調べた文部科学省が、千葉科学大(千葉県銚子市)にこんな指摘をし話題になった。だがこのbe動詞、実は最近の大学生の英語教科書では“定番”だ。英語教科書を手掛ける出版社の大半が、中学校の復習を中心にした教材を制作。大手私大を含む多くの学校で使われている。
 老舗の南雲堂(東京・新宿)の担当者は「大学に営業回りに行くと、学生の英語力の愚痴を聞かされる。be動詞レベルの教科書の需要はさらに拡大する」と話す。
(責任転嫁の応酬)
 千葉科学大はネット上で「中学レベル」と揶揄(やゆ)された。危機管理学部長の坂本尚史教授は「批判もあるかもしれないが、入りたい子は手厚く面倒を見るしかない。入り口と出口のギャップを埋めているのは大学だ」と話す。別のある50代の私大教授は、高校や中学の教員と今の教育について話したことが忘れられない。高校教員は「中学校が問題だ」といい、中学教員は「小学校が不十分」。結局、その場の結論は「家庭に問題がある」に落ち着いた。「皆が責任を押しつけ合う結果、しわ寄せが大学に来ている・・・。」

 幅広い学力の高校生を受け入れる今、大学は高等教育機関であり続けられるのか。