英検1級所持者でも難しい大学英語入試問題。

 帰国子女の高校生(中学1年で英検1級を取得)が日本の大学の英語の入試問題で苦労しているので、国語の講座を取って受験勉強に備えているという記事をあるニュースで読んだ。何がその高校生に難しいかと言えば、出題されている英語の文章の意味は十分分かるのだが、それを英語で答える問題は少なくて近年はその文章の作者の考え方についてどう思うかとか、その内容を日本語で200字以内にまとめよという記述式の問題が多くあり、なかなかそれらの問題に自分の日本語力が対応できないというのだ。確かに小論文的な実力のいる日本文は日本人にとっても難しいし、英語ができる実力とそれについて論じる日本語力は違うものだろうから、ふと問題を出した大学関係者はこの英語問題から受験者の何を調べようとしているのだろうか・・・、と疑問に思うのだ。両方の力を求められているのだろうが、それなら日本語力は国語の試験では分からないのだろうか?とも思う。そこで私には妙案がある。大学入試の英語問題を英語の小論文にするのである。英語で小論文の課題を出して、A4紙くらいにそれについての小論文を書かせるのである。つたない単語レベルでもしっかり言いたいことが表現されていれば合格にさせるのである。英語が必要な専攻学科だったら採点は厳しくして、大して必要がなければそこそこのレベルでも、しっかり自分の考えが表せていれば良いのである。英検3級レベルでも日常生活は十分であるし、そのことについて二次試験で英語で口頭試問すれば最高の試験になるだろう。実施はむつかしいだろうが今の制度よりは確実に、生きた英語が生徒は身につくだろう。
 でも英検にしろ数検にしろ上級資格を持っていたら大学入試試験が免除されるのなら、いっそのこと国家資格にして10年くらいの更新制にすべきではないかとも思う。教職員の英語教師に文科省は準一級の資格を取るように勧めているが、中学生や小学生に英語を教える先生がそのレベルを生徒に教えることなど皆無であろうし、はっきり言って必要ない。しかしそれを取れというのは、教える人は簡単な英語を教えているけれども英語検定は、準1級を持っている優秀な人なのだと言いたいのだと思う。でも英語以外の外国語(アラビア語など英語とは似てもしない)を専攻しても教員の英語の先生の免許は取れるから、他の言葉を専攻した人にさらに英語検定準一級を取れというのは酷なような気がするのだ。バリバリの受験高校ならそうでもないかもしれないが、資格手当などもあるのだろうか・・・。でも数学や国語の先生は数学検定や漢字検定で資格を取れとは言われない今の現実に、まさに日本の間違った語学教育の根幹があるような気がするのである。塾も英語を教えるなら英検取れ!とか言われるのだろうか・・・。将来教員に資格手当が付くのだったら社会や理科の先生に検定がないのは不公平だ!とかの声も上がるかも知れない。英語の場合準一級を持っていなければ学校の先生になれないのなら、なぜ文科省英語検定の推薦を前に外したのだろう・・・。そうなった時はよくぞやった!と思ったが、今また何やらおかしな業界の癒着の構造を感じるのである。新国立競技場の問題しかり、今の政権での文部大臣はできる人のように見えるだけで、実は大して仕事はできない人かも知れないと思えてきた・・・。