まったく同感!塾講師のプロとは

 夏休み前後、新入生が入って忙しくしています。塾によりましては講師が複数辞めたりして、拡げた授業枠の対応が厳しくなって生徒に対応できないとか、広い教室で使っていない机がたくさんあるなどの話を耳にしますが、塾ミシガン高知は各学年定員制で講師は塾長一人ですので、講師が急に辞めて授業への講師人員が足りないなどはありませんし、なかなか講師がいなくてようやく入った新人講師が生徒の前に立つ事も決してありません。講師が複数同時に辞める塾は、やはり何かその塾に問題がある塾なのかもしれません。秋に入試のある推薦受験生には大切な時期なのに塾でシルバーウイークを取って、4〜5日全部を休みにしているところもあるようです。講師たちを休ませないと辞められるからでしょうか、だったら塾長だけでも授業をやろうとは思わないのでしょうか、プロの私ならそう思いますけれど・・・。休んだその分安くなるのでしょうか?振替があるのでしょうか?
 私がそう思うのは「プロの塾経営者」としての30年の誇りと塾講師の責任を、強く感じるからです。またボランティアがやっているような塾に通っていた生徒も来ています。やはりそこでの成果には納得できず心配で、私の塾へ来ています。人間タダなら休んでも一緒ですから真面目に勉強はしないでしょうし、すべてが「プロがやっている塾」とは違うのではないでしょうか。著名な私の尊敬する塾経営コンサルタントの先生が「塾のプロ」について書かれていましたので、ご披露いたします。

「プロの定義について」お話したいと思います。

 人の行為は2種類に分かれます。「社会的行為」と「個人的行為」です。

 その行為が社会(周りの人)に対して何らかの影響を与えるのが社会的行為で、何の影響もないのが個人的行為です。個人的行為の代表的なものは「趣味」です。あなたが自宅で、好きな本を読もうが、カラオケBOXで「津軽海峡冬景色」を歌おうが、誰に迷惑を掛けるわけでもなく、誰かを幸せにするわけでもありません。それが個人的行為です。もちろん、趣味は自分の人生を豊かにする大切な要素であり、それを否定するものではありません。
 社会的行為はプラスの影響とマイナスの影響に分かれるのですが、迷惑行為や犯罪のようなマイナス要素は別テーマですので除外します。そうすると、社会的行為は2つに分類されます。ボランティアとビジネスです。共に社会に対してプラスの影響を与えるものですが、違いは言うまでもなく対価が発生するかしないかです。当然ですが、ボランティアには対価が発生しませんし、それを期待しない行為を指します。まあ、マザーテレサのように、結果的に莫大な資金が集まるボランティアもありますが、それは例外です。また、ボランティアを装った詐欺行為も横行していますが、それもまた別の話。
 その上で、日本人はどうしても「ボランティアは崇高な行為」であり、「ビジネス(金儲け)は下品な行為」というイメージを持っています。「士農工商」と言われるように、商(ビジネス)を最下層に置いているのも、日本人が昔から持っているメンタリティです。1つは、日本人がボランティアを歪んだ意味で捉えていることが原因です。そう、日本人はボランティア=自己犠牲と間違った解釈をしているのです。ですからボランティアはビジネスに比べて尊いと…。ボランティア本来の意味は、「自分にとって余分なもの(お金・時間・労働力)を他者に有効活用してもらうこと」です。ですから欧米では尊くも何ともない行為として、と同時に誰もが気楽に参加できる行為として捉えられています。
 歴史上、社会を進化・進歩させてきたのは紛れもなくビジネスです。ライト兄弟からわずか100年で世界中を飛行機が飛び交い、月や火星までロケットが到達できるようになったのも、医学が発達して癌すら不治の病でなくなったのも、ビジネスの力です。教育業界で言えば、確かに公民館を借りて無償で学習指導(いわゆるボランティア)をしている人の行為は尊いと思います。しかし、そこで提供されている指導のクオリティ(教材・カリキュラム等を含む)と、毎月2万円を対価として頂戴して「あなたの塾」が提供している学習指導のクオリティのどちらが高いか。言うまでもなく圧倒的に「あなたの塾」の方が高く、子供にとっては圧倒的に有益です。日本の教育水準を向上させてきたのは(公教育を除けば)ボランティアではなくビジネスです。
 プロとは対価を取って社会的行為を行う者、つまりビジネスを司る者です。プロとしての第一の条件は、「対価をもらうことを躊躇しない」です。前述のように、日本人は対価をもらうことに「後ろめたさ」を感じるメンタリティを持っています。ですから、どうしてもボランティアに流れてしまいます。ビジネスがボランティアに流れると大きな弊害が生じます。妥協が生まれるのです。「ボランティア(無料)なんだから多少クオリティが低くても仕方がない(許される)と思ってしまいます。これが怖い。
 あなたは学習指導のプロとしてボランティアに走らず、妥協せず、常に進化を求めてください。