いろいろ大変な学校の英語の先生

 あるメール教育ニュースを見ていて「文科省は教員に何を求めているのだろう・・・」と感じてしまった。
 教員不足が言われている今、現在文科省の言うような資質の教員を求めていたら、益々教員不足になってしまうのは間違いない。そして自分が出来る事と人をできるようにさせる能力は別物であることが、文科省のお役人にはわかっていないようなのだ。
 下記にそのニュースがあるがこれを読むと「英検準1級を持っていたら即先生採用になる」とも取れなくはないが、先生の仕事は学習指導だけではない。いや時間的にはクラスやクラブ活動にあてている時間の方が、ずっと多いだろう。英語力がすごい教員が現場にいたとしても、「あの先生は自分だけが英語が分かって教える能力は低い」とか「教務的には評価できるが生徒指導や保護者対応がまったくできない」などの烙印を押されると、その先生としての資質は大変低いものになるのである。
 仮に中学校に、アメリカの大学のMBAでも持っている高度な英語力を持った人が先生に赴任したとしても、彼の英語力の1割も授業や生徒には利用できないだろう。その先生が中1の初めて英語を学ぶ生徒を持たされたら、結局は彼の才能は今の現状なら100%潰される。英検などで教える力など先生としての資質などが判断できるものではないのである。教員をさせながらより力のある育て行くような技量が文科省にはないのだろうか・・・。まさか英検資格手当などつかないだろうが生徒にとってどの先生も同じ先生だから、そんな事はあってはならない。私の言いたいことは賢明なこのブログの読者であるなら、深くご理解いただけるであろう。
 文科省が望む「使える英語」を生徒に伝えたければ「使える英語」になるように、英語の授業を変える必要があるのだ。今の英語教育は「使えて学術的に高い英語」を求めているから両方ダメになっているわけで、まずは文法なしに保育園の子どもが日本語を学校に行かずに覚え、何も困らず話せて使える日本語を話すようなやり方でする必要があることが、まだわかっていないのだ。例えば中1の英語の授業時はひたすら聴いて中2ではひたすら話させて中3でひたすら読ませて書かせる、くらいの抜本的な英語改革をしなければ日本の子どもが英語が使えるようにはならない事が、今だに政府の有識者にはわかっていない。
 使える言語を学ぶには「聴→話→読→書」の言語理論しかないのである!
 あと20年くらい合計50年同じ事を私は叫んでいるかもしれないが、そのあと私の文章を読んだ私に続くその頃の若者が正しく理解し、実践してくれることを私は夢見ている。

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英語教員「話す・書く」強化
――英検準1級以上の取得、中・高教員、目標遠く
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 文部科学省によると、全国の公立中学・高校の英語教員で英検準1級以上に相当する資格を持っているのは、2014年度調査では中学で28・8%、高校で55・4%だった。17年度までに中学50%、高校75%にするという目標からかけ離れているのが実態だ。

 文科省幹部は「日本の子供は学校で何年も英語を習うのに、使える英語がなかなか身につかない」と認める。

 政府が昨年11月に開いた外部有識者らによる「行政事業レビュー」でも英語教育が批判の対象になった。「子供の語学力向上に成果が出ないのは、教員の英語力や指導力が足りないため」との厳しい指摘もあった。