痛ましい大学生のスキーバス事故

 有名大学をもうすぐ卒業し人生これからという多くの大学生が、突然の事故に巻き込まれて多く亡くなってしまいました。同じ親の立場として「なんで?」と悲しさ、やるせなさ、口惜しさ、怒りなどが私でさえこみあげてくる事故です。様々な原因がそこには存在するでしょうけれど、なぜ彼らは命まで奪われなければいけなかったのでしょう?運命?いやそんな言葉では絶対親御さんなど受け入れられません。背景には貸し切りバス事業者の熾烈な競争があり、運転手不足や高齢化が起因しているようです。
 資本主義社会ですから仕事上の競争は必ず存在しますが、人の命まで奪うような競争を強いられてまでその仕事をしなければならない人間の性(さが)に、私は悲しささえ感じます。きつくてむつかしい資格のいる大型バスの運転手は今全国的に不足しているようです。ですから高齢化しているようですね、やはり人の命を預かり運んでいるのですから、それなりの給与は必要でしょうし、法的にも最低請負運賃が決まっているようですが、それが競争によりうまく機能していないようなのです。
 人手不足と言えば塾業界もそれは言えます。割と参入しやすい業界と考えられていて新規の塾など都会では信じられないような値段の塾も存在しましたが、それらは続かず消えてゆきました。安い値段でいまだに続けているところもありますが、場所代を払い人件費を払いしていると人数が増えてゆけばいいですが、当然近い将来立ち行かなくなります。私は多くのそのような塾を目の当たりにしてきました。ですから安いと思って入っても「今のコースではあまり効果がないようですので、個別のマンツーマン指導などいかがでしょうか」とか勧められます。安いはずが結局高くなるのです。マンツーマンは合う人には良いでしょうが、合わなければどうしようもありません。
 私は塾業の経営者だけとは思っていません。教育者の一翼を担っているものとしての誇りも持ち合わせているつもりです。塾は勉強するところですが挨拶をするとか、時間を守る、人に迷惑をかけない、言葉遣いに気を付けるなどはどの生徒にも指導していますし、勉強以上にそれらの指導は大切にしています。ですから授業中は私語一つありません。たぶん図書館よりずっと静かです。そして一度に多くの同じ学年の生徒は入れませんから、授業が終わって近所で遅くまでたむろして苦情が出るなどはまったくありません。ですから塾ミシガン高知の生徒はある意味、普通の塾生とは違った一面を持っている生徒たちと言えるでしょう。塾によりましては目的のためには手段を選ばない「マキャベリスト」がやっているような塾もあるようです。その目的が学習能力向上ならいいのですが、近所の目障りな塾をつぶすためだったりするように思えることもあり、正直言って怖い人たちのような気がします。あまりに値段の安い塾はどうかお気を付けください。必ずどっかで無理をしているのですから・・・。