アクティブラーニングを考える

 4年後にアクティブラーニング(AL)が学校で始まった時、塾としてどう対応できるのか考えていた。文科省が考えている、大学のゼミのような先生と生徒が互いに討論しあって問題を解決してゆく授業を、塾でどういうふうにフォローできるのかという事である。果たしてどれだけ対応できるだろうかと少し憂慮もしている。学習の後は結局理解度を測る試験は同じようにあるだろうから、試験対応はしてゆけばよいだろうが、アクティブラーニングは個人個人に深く学習に興味を持たせて、互いに意見を交換させて理解を深めてゆかせる方法だから、意見の発言も評価の対象になるだろうから、それらが言えない子を塾で、意見を言えるようにするような親からの期待も塾には強くないかとか考えるのである。生徒の性格的な事も大いに関係するだろう。だが教材にも「この公式を教えたら、ここでこういう議論をさせる」なんてマニュアルがきっと学校でもあるだろうから、塾ではこんなことをここでは発表しようなんて指導するようになるのかもしれないが、果たして今のままの個別指導などの塾形態では、どれくらいALに対応できるのか・・・などと思うのだ。
 またグローバル教育はますます進み、英語の授業が主体のバカロレア教育なども始まり、英語での意見交換も必要になるだろう。現に高知の公立のある高校ではクラス学年対抗の英語ディベイト授業があり、その原稿作成を手伝ったことがある。意見によってはどのようにも話が転ぶから、いろいろな事を予想して原稿を考えなければいけないのだ。幸い相手が弱かったのでその生徒ティームは勝てたと喜んでくれたが、もし同じような生徒が3〜4人いたら手伝いでは済まなかったであろう。日本語でもむつかしいことを英語で現場ではやっているのだ。そんな経験が生きるような大学受験が始まれば日本の教育は変わるだろうとも思うし、この数年間は教育大変革への推移期間として大切になってくると思う。
 しかし、中学では英語の授業は英語で始まるというが、1年生で学ぶ3人称単数構文Sの説明には
S or es is necessary for the end of a word of the present verb of the English third person singular form.
(英語の三人称単数構文の現在形動詞の語尾には、sもしくはesが必要です。)
なんて英語の文法説明がされるわけだろうから、日本語でも中学1年生には理解がむつかしい英文法の説明を、高校生ならともかく英語で果たして一般の中学1年生がこれをどれだけ理解できるか、私にはいささか疑問である。
 私はこの時期の彼らには英語力以上にさらなる日本語力向上が、彼らも大半には将来もっと役立つと思う。詰め込んだ英語力はすぐ忘れがちで、その維持してい行く努力がなければすぐに英語力は落ちてしまう。その点彼らにとって日本語はたぶん一生必要で役に立ち、使っている以上忘れることはないからである。