新米の出回る頃

 おいしいお米の産地で有名な新潟や秋田では、どのような環境の水田で作られているか興味があり、調べて見たことがある。さもきれいに整った耕地で名水と言われる水から作られているのだろうと思っていたが、厳しい夏の暑さや厳寒に鍛えられた大地からそれらができると知って、意外だったことを覚えている。厳しい自然に稲そのものがしっかりと生きようとして力を振り絞り、すばらしい味の米ができるそうだ。
 人間もそうではないかとおもう。恵まれた環境よりも、苦労して手に入れた環境の中で自分で人生の使命を見つけた時ほど、すばらしい仕事はできるような気がするのである。学生時代、クラブの吹奏楽をしっかりやっていたが大学の奨学金でなんとか食いつないでいたので、それを毎年もらうべく本来の勉強もしていた。毎年成績の査定があり「優」の数で選考されるので、今考えると飯を食うために勉強していた感じで、確かに「優」の数はかなり多かった。仕送りが来る前や奨学金がもらえる前など下宿に食べ物はほとんど無かったが、米びつにお米があればほっとしたことだった。そして帰省して自宅で食べた炊き立ての新米のおいしかったこと!それ以来お世話になった人にはたまに、名産の新米を贈ることにしている。自分がおいしいと思う気持ちを少しでも、お世話になった方に味わってもらいたいからだ。そしておいしいお米は、必ず喜ばれるからである。
 健康上我が家ではお米に少し麦を混ぜているので、新米でもいわゆるあのおいしい感激はないが、だからこそ外食しておいしいご飯をいただいた時の喜びは、ひとしおだ。新米の出回る頃、大きな感謝を込めて今年の新米をお世話になった方に贈る、いつもの私である。