新学期ラプソディー

今日4月7日は学校の新年度の始まりの日。先月20日に先生方は異動が発表になり宮使いとは言っても、異動に寄っては50歳を過ぎての単身赴任は大変ではないかと想像する。東西に長い高知県、高速が出来たとは言え西から東までは10時間以上はかかってしまう。教職員の場合極端な異動はないらしいが、子供が多かった昔には西から東、東から西への転勤も少なくなかったようである。

    先生、と言えば子供を査定するばかりであったが今はしっかり管理され、先生のサラリーマン化が言われ始めて久しい。2月にある学校の校内誌にコラムを頼まれその中で、我々保護者が家庭の事を先生に頼みすぎる傾向がある、またそれを聞く先生はいい先生で聞けない先生は役の立たない先生などと噂をしている・・・そんなことはやめよう・・・と書いた。

    私が子供の頃は学校の先生は生徒がいない、となれば夜中も走り回り生徒が警察に捕まったとなれば、警察に親と一緒に迎えに行っていたものである。激務の割には給料は安く高度成長時代でもあり優秀な人材が、国家の根幹である教育に携われない事に憂国の念を感じ、給与を上げ社会的地位の向上を計ったのは田中角栄である。それから不況時代になっても安定した生活が保障される教職の仕事は、大変人気が高く高倍率の難関を突破した方々とお見受けしていたが、やはりこの世界にも問題児が多数出没し彼らの世界を住み辛くしてしまったのである。夫婦で互いに教職員を定年まで勤め上げれば辞める前には年収が合計で1000万を超えるというし、年金はかなりの額が保証されているから、自分の子供をその世界に送り込みたい彼らの親心は大変理解できる。

    ただ世の中が変り子供がかわり先生が変っている時代に、国の教育体制は全く変わっていないところに、私は以前から疑問を感じていた。大人になれない大卒者が増えている。人生60年時代から今の人生80年時代になっても22歳で社会に出る。悪い事ではないが60歳で仕事を辞めなければならないのは一緒だから、子供が減り年寄りが長生きして60歳からぶらぶらし始めれば、若者の高齢者負担金は増えることは必至である。
そしたら定年を70歳くらいにすべきである。若者に大学を済んでも一人前の社会人になるための養成期間をあと2年くらい設ければいい、もちろん公費で。その指導者に70歳くらいまでの人材を登用できないものであろうか?女性には結婚して子供を産んでもらわないと日本の明日はない。結婚しなくても子供を産んでもらわないと、日本は滅びてしまう。男がどんなに努力した所で絶対に出来ない事であるから、もっと政府は今の危機的状況を真摯に受け止めないと、年寄りばかりの国になってしまう。もっと人間中心の教育が出来ないものか、長く生きたシニアの方々の豊富な経験をもっと活力ある国づくりに使えないものか・・・・と最近富に感じている。

親が変れば子供が変り先生が変れば生徒が変る、と信じている自分だが、そう言えば私も「先生」だった。これ以上変わったら一回転して元にもどってしまいそうな自分である・・・今日は訳の分からないひとり言の文章になってしまった。新学期に多くの方が希望をいだき新しいスタートを切るこの季節を、ラプソディー{狂詩(教師)曲・幻想曲}と受け取るのは私ぐらいではないだろうか・・・