投稿 記憶の限りでは、とは・・・

 難しい役人の日本語に出会った。そのわかりにくい国会答弁を英訳してみた。
He said,「As far as my memory was concerned, I had not seen that man.」
彼は、私の記憶が関係する限り私はその男と会っていないと言った。
文法的には間違いはないとは思うが、やっぱり変な英語に思えて自信がなくアメリカ人の大学院まで卒業した友人に聞いてみたら
「As far as I can recall, I haven’t seen that man.」と直してくれた。recallという単語は思い浮かばなかった。思い起こすとでも訳せるかもしれない。同じ意味の他動詞でrememberがあるが、この時はrecallがしっくりくるのだろう。
 一番聞きたかったこういう言い訳をアメリカ人はするのかと聞いたら、やはり我々と同じような責任逃れの時に使う人もいるようなのだ。想像通りYes,Noをはっきり伝えていないので、きっと一番嫌われるあいまいな態度の人間に思われるだろう。でもこのような日本の政治家や役人の答弁を英訳して世界に発信している人は、英語も日本語もすごい達人だと思う。
 ※「私の記憶の限りでは彼に会ったことがない」という高級官僚の国会内での答弁の意味をもう一度考えていた。その人は彼に会ったのか会っていなのかが、はっきりしないのは言うまでもなく、会ったかどうか聞いている方が真剣であればあるほど、このようなはっきりしない答えにきっといら立つだろうし、その人の人間的信用度は明らかに無くなってしまうと思う。会っていないのならなぜはっきり「私は会っていません。」と言えないのだろうか、我が国の最高学府をきっと最高の成績で卒業し、高倍率の難関国家試験に合格してなった高級官僚の彼らが、こんなおかしな日本語を使うから、我が国の日本語はおかしくなり衰退してゆくのではないだろうか。国語として日本語を習っている小中学生が、宿題を出していない理由として「私の記憶では私は宿題をしました。」などともし話したら、きっとすごい剣幕で先生に怒られるだろう。
 国際化の時代、英語教育もそれは必要だろうが我々は日本人である。生活の中で仕事で英語を使う人以外はそんなに英語は必要ではないし、英語が分からなくても不自由はしないが、日本人としてやはり日本語は正しい正確な日本語を学校では学び、政治家や高級官僚など国民を指導する立場の人には、その日本語の正しい使用者であって欲しい願うのである。

このブログの後半部の※からが高知新聞4/22付朝刊 声ひろばに掲載されました。