年末考察「学ぶ」とは

 今年もあと10日を切りました。地球沸騰化という言葉が生まれた今年でしたが、これを書いている12/22は日本中を寒波が襲い、北国の雪の多さと寒さは大変なようです。でも来週からお正月にかけて四国九州では、割と暖かい年末年始になるようです。  

 忘年会も少なくなりましたね、コロナで数年なかったので「別にやらなくてもいいんじゃないの?」と言うような風潮が出回ったようにも思います。でも年末には繁華街はにぎわっていました。そして昨年は物価がかなり上がりましたが授業料は上げていませんし、また増税もあるらしいので益々、私の可処分所得(自由に使えるお金)は、少なくなることを意味します。

 私の塾はワンオペ経営ですから講師は私一人です。講師の労務管理で苦労する事もなく、講師がよく替わるからという理由などで生徒は辞めません。一人の生徒が長く通い続けてくれるのはやはり私の塾のポリシーはもちろん、値段的にも入試や成績の結果的にも、また予約やキャンセルが自由にできる便利なチケット制などのシステム的にも保護者や、塾生の皆さんが納得してくれているのだと思います。やはり塾は勉強するところですし、目標に向かって努力しやすい環境づくりは大切ですが、答えを教えるより先に学習の仕方をまず塾長は指導するものだと、私は常々考えています。

 ある歴史書を読んでいて【学問とは】という記述があり、それによると
武士の時代から学問は先生からなどから学ぶ事は3で、自習が7の割合が理想である
と書いてありました。人からでも書物からでも自分の経験からでも学ぶ方法はたくさんあります。私自身の実践経験を踏まえ、やはりその中で一番記憶に残り身に付くのは、自分の経験からである事は、確実です。書物から学ぶにしても、試験があり嫌々読まされる本よりは、自分が興味のある分野で自ら買い求めた本の内容は、確かに覚えています。技能習得の場合は師匠のところに弟子入りしてもあまり教えてもらえなくて、弟子はその師匠の技を盗みマネして自己研鑽によって身に付けてゆく話は良く聞きます。その歴史書が言いたいのは、このような事ではないだろうかと思うのです。

 いまの塾に置き換えてみましょう。私は質問された時、答えを教えずに、考え方を教えてまず解かせます。その時はそれで試験はクリアー出来ても、また数か月して実力テストなどがあった時に、同じような問題が出てまた私が質問されたとしたら、それは生徒には身に付いていない事になります。大事なのはその時なのですね、私が全部教えたら結局同じことの繰り返しになってしまいますから、英語の単語が分からないのなら、昔だったら辞書を生徒に渡していました。今ならネット検索させます。生徒にはしっかりその単語を頭に入れるように、ノートに書き写させます。このような問題解決方法の教育、いわゆるソリューション教育が大切なわけです。でもそんなことを指導している塾があまりにも最近は少ないのですね、そして生徒には時間を守らせて敬語を使わせます。いわゆる道徳教育です。クラブをやっている子はまず問題ありませんが、中には物の言い方を知らない子がいたら注意をします。そんなことはなかなか若い先生にはやりにくい事かもしれません。

 これらは私の塾は昔と変わっていませんから、長く評価を受け塾が続けられている理由と確信しています。ほんとに小さな塾ですが塾の決まりや方針を、分かってくれる保護者や生徒さんに来てもらっています。それらをより効率的に実践するために文明の利器(パソコン等)は各自に一台ずつ導入しているのです。そして預かった以上はその生徒に合ったやり方で学習を指導し、力を付けるようにさせています。これはずっと変わっていませんし、今後も変わりません。

 私は塾とは「知識を伝え、人間としてのマナーや道徳を伝え、知恵を育み問題解決の方法をも伝える場所」と考えて、頑張っています。来年もミシガンらしく運営してゆきます。

 今年のブログはこの回で終了で、年明けは1月8日の週に書き始める予定です。

今年一年ご精読をありがとうございました。「続けること」それが唯一の私の取り柄かもしれません、皆様どうか良いお年をお迎えください。Have a good OSHOUGATSU !