山本五十六

  ある方からメールで「塾の先生のブログですから、教育の事ばかり書いているのかと思っていました・・・」と言う様なメールをいただきました。教育者の端くれとしてそのような事を中心に書ければとも思いますが、私も人の子、生身の人間ですからいつもそのような話ばかりは出来ませんし、しょっちゅうそんな事ばかり考えている訳でもありません。四国の田舎、土佐の高知で小さな塾の先生をやっているおじさんのひとり言として読んでいただければ、と思っています。でもせっかく覗いていただいているのですから、「少しでも読んで良かった・・」「そういう見方、考え方もあるのか・・」という感想を持っていただけるように、配慮はしているつもりです。


   さて今日の話題ですが、塾の仕事は日中に事務的な仕事を済まして、大体平日は午後4時頃から夜10時過ぎまで、土日は試験中なんかですと午前10時から夕方6時ぐらいまでが授業ですから、夜のテレビは週末以外まず見られませんが、それでもしっかりビデオ録画して毎週欠かさず見ている番組があります。NHKの火曜と水曜、午後9:15〜10:00までの「プロジェクトX」と「その時歴史が動いた」です。
   そのテレビ番組で先日、山本五十六の半生を描いた「真珠湾への道」を興味深く見ました。彼はアメリカを良く知っており「この国と戦争しても勝てるわけがない・・・」と分かっていても、その気持ちとは裏腹に運命は彼をその矢面に引きずり出します。それはアメリカを訪れた事のある人は必ず思う事です。私も24歳の時に留学している友人を頼ってロサンゼルスから初めてアメリカに入りましたが、空港からダウンタウンに向かうフリーウエイの車線の多さに(片車線だけで7〜8車線、計15〜6車線)ただ驚いたことを覚えております。そしてサンフランシスコでは金門橋の大きさにもただただ驚いてしまいました。当時で橋が出来て数十年とか言っていたような記憶があり、完成が昭和10年頃と知りまだ瀬戸大橋が完成してなかった日本と比べ、戦前にこんな大きな橋を作る技術もパワーもあるアメリカはやはりすごい国だと思いました。またこの橋が絵になるほどきれいなところにあるんですね。それから何度となく訪米しニューヨーク市なども訪れましたが、最初あのマンハッタンの高層ビル街が昭和の始めには形成されていたと知り、なんと過去の日本人は相手も知らずに戦争をしたのだろう・・・と悲しく恥ずかしく思いました。街中が新宿副都心と思っていただければまちがいありません。こんな話を始めると私はとても長くなるのでこの辺にしておきますが、70年近く前、山本五十六もこの街を訪れ同じ事を感じたに違いありません。
   しかしこんな彼が立案した米国民の戦意を失わせる計画の真珠湾奇襲攻撃は、宣戦布告が外交上のミスから攻撃の55分後になってしまったのです。また日本時間では月曜日でしたが時差が19時間あるハワイは日曜日の午前8時頃で、アメリカにとっては全く不意を突かれた掟破りの攻撃でした。ハワイオワフ島のアリゾナ記念館ではそのことが今でも大々的に語られ、日本人として大変つらく恥ずかしい思いをさせられました。山本五十六はこうでもしないと勝てないと思ったのでしょか?しかしこの掟破りの攻撃がかえって「リメンバー パールハーバー」として逆に米国民の戦意を大きく高揚させ、結果的に日本は未曾有の犠牲を払う事となりました。ハワイに行かれましたらぜひアリゾナ記念館を訪問されて下さい。ホノルルから市内バスで安く簡単に行けます。

   番組中に彼の言葉として紹介された「国大なりといえども戦(いくさ)を好まば必ず滅ぶ」という言葉は、当時の軍国主義に突っ走っていた日本について述べた物でしょうが、今のアメリカに当てはまらないかと、ふと感じました。また友人から山本五十六の言葉として教えてもらった言葉を最後に今日の「ひとり言」を終えたいと思います。

   「言って聞かせてやって見せて、褒めてやらねば人は動かぬ」