肩書きが無くなった時・・・

   最近パソコン教室に定年して再就職のためにパソコンを身に付けたいという方がよく来られる。パソコンが普及し始めた頃は管理職で、この様なことは若い事務職員などにまかせっきりだったようで、中には初めて触る人もいる。当教室はそのような人のために主に少ない人数で、分りやすい教材をそろえている。やはり身に付く身に付かないは本人の資質というより、心がけだと感じるのである。

  いくら大きな会社で管理職として名をはせても辞めて離れてしまえば只の人なのに、それが分らないのか抜けないのか、管理職気分でさも私に「教えさせてあげている・・」みたいな態度なのである。パソコンが出来ないから全てが出来ないわけではないが、その心がけから変えていかないと、再就職など無理だろうしパソコンなど身に付くはずがない。
  一方退職して数年なかなか再就職がうまく行かないのか、やはりパソコンくらいは知っておかないと・・・と現実を実感された人は態度がまったくちがう。「ここは高知で一番安いし、一番分る!そしてチケット制で大変便利!!」と言ってくれて、一生懸命に学ぼうと努力されている。始めはおぼつかないが、日ごとに成長しているのが感じられるのである。

   どちらの方がいいとか悪いとかではないが、仕事を離れれば役職を離れれば一個人になることを、知っておかなければならないと言うことであろう。仕事を持っていたときは年賀状が100通以上も来ていたのに、退職するとほとんど来なくなった、なんて話を聞いたことがある。これは何を意味しているのだろうか・・・ふと自分が仕事を引退した時のことを考えてしまった・・・





追伸、映画「ロッキーザファイナル」が公開されます。30年前に心を熱くし舞台だったフィアデルフィアの図書館の階段も後日駆け上がりました。映画どおり市街地が一望できました。そのロッキーがいよいよ終わります。ここで原点の映画のダイジェスト版をごらんになれます。
いつ聴いてもビル・コンティのテーマ曲には心が熱くなるのは私だけでしょうか・・・