人生に無駄なことはないと思います。

      大学卒業生の就職が大変厳しくなっているようです。バブル崩壊の2000年を下回るとかで、大学生に対する求人倍率も1倍を割り込みそうだ、との事です。地方から都会の大学に進学させ、自分たちの生活を節約しながら、年間かなりのお金を仕送りしてきた親たちに取って、この現実はきっとやりきれないと思います。来年はよくなるかも知れないと大学に残る(留年する)子もいるようです。来年は良くなるという保証はないわけですからあまり良い選択とは思いませんし、親にしてみればまだ月々の仕送りが必要となれば、ますます彼らのスネは細くなって行く様に思います。やはり社会に出て通用する「資格」など親としては取ってほしいですね。
      でも、私も学生時代にこの商売がしたくて勉強していたわけではありませんし、今では世間では憧れの「公務員」を辞めてこの仕事を始める人もいるくらいですから、人生はどうなるかはわからないものです。

      自分がこの仕事を始めた理由を、いろいろ思い出していました。学生時代は洋画が好きでしたから、パンと牛乳を持って朝から映画館に行き3回ほど同じ映画を観ていました。最初は内容を理解し、2回目は社会的な背景に注目し、3回目は主人公の心情とか英語の台詞とかに注意を払ったものでした。
      英会話はそんなことをしているうちに出来るようになり、身に付けた英語を試したくなり文法などを勉強して、英検やTOEICTOEFL、英語弁論大会などにも出場しました。そしてその身に付けた英語を社会に還元したくなったのです。英語などの語学は身に付けることより、その実力を保つことが難しいですから、教室を開けば収入もあり実力も保てると思ったからです。でも英語となるとやはり本場で鍛えなければならないと、せっせと預金をはじめアメリカで勉強もしてきました。
      そこで感じたことは「英語はアメリカ人にはかなわない。」という事です。語学の勉強よりは社会や文化などに興味がわき、日系アメリカ人の事を少し調べました。今でさえそれなりの地位を築いている日系人たちですが、それはそれは苦労の連続で、「アメリカでこんな苦労するのだったら日本を出るのではなかったと思った・・・」と話した日系のお年寄りの言葉が、今でも忘れられません。その頃から「自分は日本人だ!」と意識するようになりました。
      帰ってきて英語の教室を開いたのですが、最初は大変厳しい経営でした。広告費がなくて何かいい方法はないかと考えていたら、テレビで県下カラオケ選手権大会が宣伝されてまして、「俺が有名になればこの教室も有名になる!」という短絡的発想から出場。地区大会準優勝で初回はこんなものか、と翌年出たらその年も地区大会準優勝。生徒さんも多くはなかったですがいましたので、当時タレント発掘オーディションもかねていたのか、優勝するのは若い女の子ばかりであほらしくなり、出場はやめました。22〜3年前の話です。そしてそれから11年後にもう一度参加したら、地区大会、県大会と進み総合グランプリ優勝をしました。翌年副賞でもらった旅行券で、アメリカにいる恩師に家族で会ってきました。それ以来、自称「高知で一番歌のうまい塾の先生」を名乗らせていただいています。

      このペースで話していると長くなりますね、英語教室はそこそこ生徒が増えてくると「英語は成績が上がったけれど今度は数学が分からなくて・・・」というような事で、総合塾への模索をはじめ専門でもない私でも複数教科の塾が始められる、パソコン学習塾を始めたのです。でもいくらパソコンを使ったからといっても勉強が全く分からない、経験のない方にはこのシステムの教室でもとてもお勧めできません。良く考えてみてください、そんな素人先生の教室に大切なお子さんをお金まで払って、預けられますか?英語教室の時におまけで数学なども始めていたので、私はどちらかといえば出来たのです。いい仲間にも出会えまた、多くの生徒さんに満足してもらえる教室になりましたから、おかげさまで今に至っています。
      あまりこの先教室を大きくしようとは思っていません。儲けて車を高級車にしようとも豪邸に住みたいとも、思わないのです。通勤は原付、ドライブは軽自動車で十分。寄り道をしながら今まで歩んできましたが、どんなことも今の自分には、ムダではなかったように感じます。より自分を高め、より教室の質を高めて行く所存です。

     いま就職に苦労している大学生もきっと今の苦労が、後々あなたの財産になることでしょうから、がんばってください。