#「迷い」と「決断」

 私は今64歳、パソコンを学習ツールに使う塾を15年前からやっています。今でこそ何とかこの仕事だけで生活費が稼げるようになりましたが、そうなるにはやはり「迷い」そして「迷い」さらに「迷い」があって「決断」があったのです。

 学習塾は29歳の時に今で思えば「天の声」を聞いて始めました。正夢というか自分が塾で大勢を教えている夢を見て、始めたのです。その時は「迷い」はなく「決断」のみでした。そして20年ほど続けたときに「迷い」が生じました。私の塾は私がすべてを切り盛りする英語だけの個人塾だったのですが、おかげさまで英語ブームもあり、英語塾と英会話教室は大変忙しくしていました。しかし生徒は「おかげさまで英語は大変伸びましたが、今度は数学や理科・社会が気になり始めましたので他の塾に行かせようと思います・・・。」との生徒がその頃続出してきたのです。

 塾という商売は残酷で、生徒の成績を上げて受験に合格させると、生徒が減ってしまう商売なのです。講師を雇ってすれば簡単にその場をしのげたかもしれませんが、私は人を使う自信が全くなかったので自分で教えられるようにと、勉強を続けていました。しかし、なかなかむつかしく迷っているうちに、生徒はどんどん減ってゆき始めたのでした。そんな頃でした。ネットでパソコンを使って小中学生の勉強を教えられる、今の形の塾の存在を知ったのです。天のお導きだと勝手に思いその塾の研修に参加して金融機関から融資を受けて、地元でパソコン学習塾第一号のその教室を開きました。研修では成功者の話をずっと聞かされて、失敗するなど考えもしませんでした。英語塾も続けてやっていましたから最初から生徒はいたのですが、どうもうまくいきません。何とか1年ほどは続けられましたが、安いと思った毎月の上納金が、だんだんきつくなってきました。またまた「迷い」です。「このままでは立ち行かなくなる、どうしたものか・・・」でも塾はやはり辞められず、昼間アルバイトをすることにしました。英語が分かりましたから、公的な教育機関での補助教員です。

 そして夜は塾をしましたが生徒はあまり増えずに、とうとう「決断」の時が来ました。もうこれ以上は上納金が払えなくなり、その塾から脱退することに「決断」しました。その塾を始めるために借りたお金の返済もあったためです。そして日々の生活費も必要ですから、大変苦労しました。妻の実家からいくらか援助もしてもらいました。土曜日曜は他の塾でアルバイトをして働いておりました。塾の設備はそのまま残っていましたので、何かに使えるのではないかと思いパソコン教室なども始めましたが、大人相手の教室はむつかしかったです。普通ならここであきらめてこういう塾は辞めていたに違いありませんが、辞めた以前の塾で知り合った塾仲間に、もっと安く簡単に利用できるパソコンを使う塾教材を教えてもらい、迷っていましたが塾を続けていこうと「決断」しました。

 今思えば「迷って決断して失敗して迷って、また迷ったから最後の決断ができた!」と思います。今言える事は「どんどん迷いましょう!迷えば迷うほど良い決断は近づいてくる!」という事です。そして15年、決して楽な生活ではないですが、29歳に聞いた「天の声」でみた正夢を、64歳の今も実現させています。今では天職と感じてずっとこの正夢を見続けてゆくつもりです。若者よ、迷いなさい!「迷い」は「決断」の母なのです!!

 

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