outrage

 outrageは北野武監督の映画作品の題名である。意味は「非道」であるが、2作目が最近公開されているようだ。出演俳優各個人が主役を張れるほどの役者たちの「非道」な映画は、それは怖い内容ではないかと想像している。なかなか一般庶民が経験することではないような内容のようだが、その道の専門家が見れば「まだまだ、現実はこんなものではない。」と言われるかも知れない。言葉遣いなども良くはないだろうから、「子どもには見せたくない」映画だろう。
 北野監督が「何で暴力に固執するのか」と考えてみた。確かに現代人は怒ることが少なくなったように思う。物分りのいい親が多いから子どもは怒られないのだ。だから少し怒られると、わけも分からず切れて人を傷つけてしまうのではないか。権利ばかり主張して、義務を果たさない人間が増えてきたように思う。やはり怒られて人間は強くなり多くを学ぶのだろう。文句を言ってもらえるうちが華で、何も言ってもらえないのはさびしいに違いない。outrageな行動を勧めないが、人間腹の中に何か溜め込むことは良くないと、童話「王様の耳はロバの耳」を思い出してしまった。
 中国人民の尖閣列島騒ぎもそんな風に見ると、分かるような気がする。一人っ子で育てられて怒られる事を知らない若者が、多いのかも知れない。そんな若者がこれから国を担っていく中国は、国力に物を言わせて傍若無人な外交を展開するような危惧を抱かずにはいられない。それでわが国は交渉でなめられないためにも、outrageに出てくる悪役のような強面(こわおもて)の外相を、これからは選んだ方が良いのでは・・・とふと思った。会議直前は余計に目つきに迫力が増すようなメイクをして、決して笑わず参加するのである。会議席上はさながら決闘シーンの様相で、通訳も油汗を流しながらの緊迫した雰囲気なのだ。でも日本がやればよそもやるかな・・・、プロセスラーみたいな外相が出てきたりして・・・。
 しかし、中国の経済的な報復?はほんとに大人げないし子どもの喧嘩のようで、今問題のいじめ体質をも思い起こさせるくらいだ。意地悪される日本はもっと安全保障のアッピールを米国にしてもらおう。そして火の粉が掛かり始めたら自分でも払いのけなければなるまい。しかし日本が憲法の縛りで、何もできないと相手に思われているのが大変悔しい。私は憲法改正論者ではないが、相手が話し合いですまない未熟な子どものような考えの国で、理不尽な難癖をつけてきてさらにいじめまで始めたら、大人としては「止めなさい!」と押さえ込みが出来るくらいの憲法は必要に思う。