親の期待

 久しぶりに後輩にあった。彼は公務員をしながら少年野球のコーチをやっていて、休みの日はほぼ野球漬けのようである。そういえば学生時代はずっと野球をやっていたのだった。そんな彼がふと漏らしたのは「最近の親は少し野球ができるようになると、野球の名門中学高校に行かしたがり将来は野球選手にさせようとする傾向が強くなってきたように思う。」との事であった。今に始まったことではないだろうが、昔は勉強もさせながら(塾に行かしながら)野球もやらせていたが、最近は親が朝から休日には練習を見に来て、「中学野球はどこがいいかとかそこから甲子園に近い名門・・・高校野球部には行きやすいか・・」とか、露骨に聞いてくるそうだ。わが子に期待する親の気持ちは分からないでもないが、「そんなに野球の世界は簡単ではないから、わずか小学生でその子の人生を決めることもないでしょう・・・」、というと大変な剣幕で怒られたそうである。
 何が親をそうさせるのだろう・・・。不景気だから親父さんのような生活は子供にはさせたくなくて、ドラフトにかかるくらいの選手に育ててひと財産稼ごう!などと考えているのだろうか・・・、いや一度しかない子どもの人生に好きな事を思いっきりさせてやりたいという親心なのであろうか・・・、私にはまったく分からないが、確率から言って少年野球をやっている全国の小学生が、18歳ごろになってプロ野球のドラフトにかかるであろうわが子の確率は、天文学的な数字に値するほどの大きな分母の数の確率であろうことは、容易に想像できる。
 それは小学校時代算数ができるからとこの子は将来数学学者にしようと、決めてしまうような事のように思えてしまう。私は英語を小学生に教えているが1年やったところで、週に1回1時間なら大文字小文字のアルファベットの読み書きと簡単な英単語の読み書き、そして挨拶などの会話が少しできるくらいであるが、週1回1時間でも1年習っているとそれで、中学1年くらいの英語がマスターできているように勘違いする親も現存する。小学生は英語には興味は持ち覚えやすいが、目の前に他の試験があるとどうしてもそれをやりたがり、しばらくやらない英語はどんどん忘れなかなか身に付かない。だから計画的に最小限身につけて中学で役立つように、工夫し学習させているのだが、多少忘れていくのは仕方ないと思っている。もし学校で試験もない英語を覚えているかどうか確認するために塾で試験などしていたら、きっと英語嫌いにしてしまうだろうし、そしたら親に「英語嫌いにするために小学英語を学ばせたのではありません。」とまた怒られるにちがいない。だから限られた時間内に最小限に英語学習はとどめて、中学英語に橋渡しする基礎英語力をつけているのだ。
 しかし、算数や国語、社会に理科と試験のある授業は毎日進んでおり単元が終われば試験がある。どうしても子どもはその勉強をしたがり、こちらもしっかり補習をさせて良い点を取らせ習得させるのだが、英語をやりながら他の科目もしているから、これらが良くなければまたまた保護者に注意される。だから英語はごく基礎的な読み書きにとどめ、すぐ忘れる文法などには深くは触れていない。週2時間で全教科やるのは無理なのだ。しかし中学に入れば毎日英語があり、小学生の時にやっていると英語に抵抗が無くて楽しく授業が受けられ、良い成績も取れる傾向があるからだ。これは永く続けてきて間違いのない方法で間違いない。中学高校生になればほとんどみんなが、イヤと言うほど英語をやらされるから、タダでさえ嫌いになるから、小学生時は絶対に嫌いにさせてはいけないのだ。
 何のために小学生に英語を学ばせるのかといえば、今英語が分かるためでは決してない。将来英語に抵抗なく勉強できそこそこ成績も良くてさらに大人になっても、英会話くらいはできる社会人に育って欲しいと願うからなのだが、英語が多少分かる親ほどこのことが分からない傾向があるのは残念である。
 野球の事も英語の事も不景気な不安定な時代だからこそ、親が抱く漠然とした期待なのであろうか。その親の過度な期待がスポーツの講師や塾の先生や大切なお子さんを、惑わせてだめにしてかもしれない事を、親は知らなければならない。

追伸、11/3朝のテレビ番組で1歳から英語をはじめ5歳で英検2級に合格した保育園児のニュースが流れていた。大学生でも落ちる英検レベルであるり、英字新聞をバリバリ読んで行く姿は素晴らしく思えたが、ふとこのようなニュースになる子どもの姿をわが子にも期待するのかもしれないが、極めてないことだからニュースになるのである。親は将来、英語の専門家にさせるのであろうか・・・、この子どもの才能をうまく伸ばしていろいろな事にこれからの人生、チャレンジさせてほしいと願うものである。