久しぶりに書いた音楽の譜面から思う

 友人から「5月にコンサートがあるのでこの曲を吹奏楽用に編曲してくれないか」と頼まれた。3分ほどの曲で編成も20パートほどピアノ譜もあるからそんなに時間はかからないだろうと引き受けて先週からやっていたが、大編成の吹奏楽のフルスコアを書くのは久しぶりで昔のようにはなかなか筆は運ばなかったが、書き始めると要領を思い出しほぼ出来上がった。
 2〜30歳代は吹奏楽漬けであった。毎晩のように譜面を書いていて今までに2〜300曲は書いている。書いていると音が見えるというか書いているサウンドが、頭の中で響き始めて聞こえてくるのだ。若いころはプロになろうかと考えたものであるが、編曲や作曲を習っていた師匠に諭され趣味で続けることにした。あのまま続けていたらどうなっていただろう、きっと喰うや喰わずの生活をしていたに違いない。一方で気分転換に音楽の頭を休めるためにやっていた英語や英会話の勉強が、仕事になってしまったのである。だから学生時代を知る知人たちは私が音楽でなくて、英語で飯を食っていると知ると驚く。しばらく会っていないから仕方ないが人間の才能とか巡り合わせとか出会いとか・・・運命と呼べるものかもしれないがそういう見えない力に導かれて、今の自分があるように思うのである。音楽を勉強したことは今は大して生活には役立っていないが、自分の人生では決して無駄になっていないし、音楽で知り合った素晴らしい方々との出会いも私を大きく成長させてくれた。あまり音楽の勉強にお金を掛けられなかったのが、よかったのかもしれない。逆に英語は仕事にしてしまったからお金をかけて勉強もしたし、いまもその能力を維持するためにお金を使い続けている。
 音楽は趣味だから「あの人は作曲や編曲、指揮もできる」と言ってもらえるが、仕事にした英語は分かって話せて当たり前になってしまった。でも塾の講師だからと言ってその塾で英語を教える先生が、みんな英語が話せるわけではないからまだ評価されているのかもしれないが、最近の中高の英語の教科書はかなりの割合で英会話が含まれているから、文法や英作しかわからない先生にはやはり、慣用句や既存の文法では解釈できない例外文法の多い英会話は、鬼門かもしれない。だから私はほかの科目の研究もしながら生きた英語の勉強は続けている。
 人生とは全くわからない、親は子供に安定を望むがそんな子どもほど、親もハラハラするような人生を選択するのかもしれない。でも親が決めた人生なら子どもは反発し文句を言いい仕舞には離れてゆくかもしれないが、子どもが自分で決めた人生なら多少の困難も自分で乗り越え頑張るものだろう。
 学校を出して子どもが独立し手を離れた時からが、親の新しい人生が始まるような気がしながら宝くじ売り場に向かう自分である。さしあたって5億当たらないかなぁ〜・・・。