救われる人、救われない人、そして救えられる人 救えられない人

 今日のブログは別にキリスト教の話を書くわけではありませんが、過去からずっと思い返して塾で救えられる人と救えられない人には、それぞれに似たようなタイプがあるなと感じます。体験の時にそれが分かるのですが、素直に今のお子さんの勉強わからない病を治したいと思ってこちらを訪問してくれた人と、ほんとにこの塾は子どもの勉強わからない病を治してくれるのか、今通っている塾でも治らないのにここも治せない「ヤブ塾」ではないか・・・と疑うように見学に来る人の違いです。中には今はまあまあ元気だけど来年には入試があるから、それに備えてより体力をつけて成績を伸ばしやってゆきたい・・・と来る方も少なくありません。多くを語らずとも私の実績やキャリアそして、塾の歴史などを事前に見てくれて判断し決めてくれる方々です。中にはこのブログを毎週読まれてずっと前からここに来たいと思っていました!と言ってお子さんを預けてくれた人もいます。
 キリスト教の「信じる者こそ救われる」という言葉どおり、塾に預けた以上は塾の先生をいかに信じられるかです。塾を見学し面談したらまずそこの塾長や室長などの責任者が対応して、聞こえのいいことを言うでしょう。値段なども安さだけを強調するかもしれません。なるほどと思って預けたら、年端もいかない大学生がわが子を面倒見ていた・・・話が違う・・・とクレームを入れたなどという塾の話は一杯聞きます。でもそれを言ったらある塾長は「私が面倒見るとは言っていません・・・」と逆切れしたとか。その塾を見学し決めたあなたは救われない人だったのかもしれません。
 幸いにして私の塾は私が全員に対応しています。親への連絡もまめにしておりますから、見られるのは限られた生徒さんだけですね。http://www.geocities.jp/pegasus_kochi_sanbashi/pic/voice.pdfですから各学年の定員があります。限られた定員人数ですからそんなに普通よりびっくりするような安い料金は出せません、完全個別学習で、塾長の私や塾の実績そして私語一つない教室から考えれば、むしろ安い方だと思います。ですから私を信じて来てくれて勉強し、みんな希望の志望校へ進めたのです。大きい塾だからとかスタッフが多いからとか安いとか、いろいろな耳触りのいい話を塾の見学やチラシでは見聞きするでしょう。でもそれらは大変経費がかかりそれで授業料が安いこととは両立しません。ですからそんな耳触りの良い塾が安い授業料でやっていれば、どこかでお子さんは犠牲を強いられていることになります。教室がぎゅうぎゅう詰めだったり、うるさい生徒が一緒だったり、先生に聞いてもなかなか教えに来てくれないとか・・・。定員がはっきりしている塾も良いでしょう。でもやはり一番の塾選びはそこの塾長を信用できるかどうかだと思います。信じられるかどうかです。永年やっている塾長なら信じてついて行けば必ず道は開けるでしょう。救われない人は疑う人です。その塾ですぐ結果を求め伸びないからとすぐ塾を替えようとする人です。塾を替えたところで結果は同じかもしれません。
 救えられて成績が上がり希望進路に楽々行ける人と、ご縁があり指導しても手遅れでこの塾を去り救えられない人もいます。その時は至らない自分を責めたりして悲しくなりますが、それがその人の運命か・・・と思うようにしています。「信じる者こそ救われる・・・」その通りだと思います。