平成30年西日本豪雨

 「災害は忘れた頃にやってくる」ものでは、もはやないようだ。「災害は覚えていても、いつでもどこでもやってくる」ものなのだろう。豪雨時にテレビで「ここ数十年に一度も経験したことのないような雨が降り、災害が起こる可能性がありますから、直ちに避難してください」と捲し立てられても、あの大雨の中どうやって避難場所に逃げるのだろうか。大きなマンションに住んでいるから、下手に動かないほうが安全だとは思うが、10年ほど前の台風では隣との仕切りが飛んで、窓に打ち注ぐ暴風雨に窓が割れそうになり、家族で抑えていたがその隙間から水が内側に染み出し、とても怖い思いをしたことがあった。そして一晩明けたら、マンション中のベランダの仕切りが無くなっていたのである。マンションにも雨戸が欲しいと思った。
 雨の降り方にせよ台風の大きさにせよ、昔よりははるかに強く大きくなっているようにも思うが、昔は昔で脆弱な社会インフラでの対応で、我々は苦労してきた。だから命を守る事だけに特化しなければいけないとは思うが、必ずこのような災害で命を落とす人がいるのが、切なくて悲しい。でも年配がすぐには非難せず、「大したことない、今までこれくらいの雨でも大丈夫だった。一階に水が来ても大丈夫なように、電気器具を二階に上げておこう」などと言っていたが、水かさが増して胸まで浸かって逃げる姿に、こんな人が災害で命をなくすのだ、と思ったのである。
 やっぱり山の近くは崩れるかもしれないし、川の近くはその川が溢れるかもしれないと、心配しなければならないのだろうが、そう簡単には引っ越しはできないから運命だと、あきらめるしかないのであろうか。私如きが考えてわかるはずもないが、何か大きな宇宙の法則があるのではないかとも、最近思うのである。哲学的な思考を始めるのは歳を取ってきたからだろうか、いやそうではなく、考える事に円熟味が増してきたのだろうと、自分勝手に解釈している。しかし、災害ではまず自分の命は自分で守るしかない。
今回の災害で被害にあわれた方々に、心よりお見舞い申し上げます。