一人は自由か病か・・・

大変興味深い記事を目にしました。
皆様はどう思われますか?

「孤独は老若男女、日本のあらゆる年代に広がっています。誰にでも訪れる短期的な孤独には耐えることも必要でしょう。しかし、人とのつながりがなく、頼る人がいない恒常的・長期的な孤独を放置してはいけません。孤独は多くの人の精神と身体をむしばみ、社会問題にも関わる、深刻な病の一つなのです。
 私は、これまでに約1千人の社長や企業幹部のコミュニケーションのコーチングをしてきました。その経験から、日本人、特にコミュニケーションが苦手なオジサンは、孤独に陥りやすいと感じてきました。その理由は、日本独自の文化や価値観にあります。日本人は一つの会社に長く身を置く傾向があります。会社というムラ社会の内部で重視されるのは、上意下達のタテのコミュニケーション。しかも、内の人との和を大切にしすぎて、望まない人間関係も強いられ、人と関わることに疲れ切ってしまいます。その結果、外の人や異文化とわかり合う努力をしなくなり、フラットなコミュニケーションが苦手になります。
 また、日本では、定期的に集まる教会、市民団体などでの活動などがあまり身近にありません。人と人とのつながりや信頼関係を意味する、ソーシャルキャピタルの充実度のランクは149カ国中101位。先進国で最低です。最近の「1人で十分」「つながりはいらない」という、孤独美化の風潮が、日本人の孤独化を悪化させることを危惧しています。
引きこもり、介護、貧困、いじめなどの社会問題は、誰ともつながらず、孤独であると深刻化します。様々な事件でも「周囲からの孤立」が背景にある場合が多いのです。
 孤独の悪影響を証明した医学的研究は無数にあります。心疾患リスクを29%上げる。1日たばこを15本吸うことに匹敵する。アルツハイマーになるリスクが2・1倍になる。うつ病アルコール依存症などの精神的な疾患にもつながります。米国の前公衆衛生局長官は、「病気になる人々の共通した病理は孤独だった」という論文を発表しました。英国は今年1月、孤独担当相を新たに設け、国家として孤独問題に取り組む姿勢を鮮明にしています。
 日本も孤独対策を急がなければ、手遅れになります。教育で、読み書きだけではなく、人との対話の方法を学ぶことも対策の一つになるでしょう。同質の人だけでなく、異なる環境の人とわかり合うコミュニケーション力とコミュニティーを作る力という、二つの「コミュ力」が重要です。「孤独は自分の責任」「家族で責任を持て」ではなく、日本社会全体でこの問題を考えていかなければなりません。急がないと、「一億総引きこもり」の時代が来てしまいます。(聞き手・後藤太輔)」


 私は年々一人の時間が多くなるようにも感じます。一人本を読んだりこのような書き物で時間が流れます。また教室のパソコンを修理したり調整したりしています。たまに溜まった事務仕事をすることもありますがそれも含めて、その時間は自分にとって有意義なかつ楽しい時間です。わずか週に一日の休日ですが、誰にも束縛されない自分が主人公の時間。自分からは外にも飲みに行かなくなりました。出て行ったら帰ってこなければならないし、余計なお金や気を使うからかもしれません。かといって家族もいて完全に一人ではないですから、知らず知らずうまく使い分けている気もします。
 だから今教室が無くなったりしたら困るかもしれません。前に待ちに待った日曜日にすることが無くて、街まで散歩に行った事があります。街ではイベントが行われて大変な賑わいでしたが、みんな自分と同じで休みなのにここに来るしかないのかなとか思いました。賑わいの中に歩きながらの街の新たな発見があったりしましたが、財布を持たずに出たので帰りが歩いては遠かったのでした。それ以来出てゆくときは市内電車賃の小銭は必ず持ってゆきます。いや、小銭しか持ちません。無駄遣いしてしまうからです。でもこんなことを考えながら動いている私は自由で、きっと病的孤独ではないでしょう。