日本航空123便墜落事故

お盆のころの夏休みになったら、必ず思い出すことがある。

 1985年8月12日 午後6時48分 524人の乗客と乗員が乗ったJALのジャンボ機が墜落した事故は、はっきり覚えているのだ。その年の4月に英語の教室を開いたばかりの私は、何とか塾を有名にしようと無料での宣伝方法を、いろいろ考えていたのである。ちょうど知人が、FMのパーソナリティーをやっていてリクエストを送ってくれたら、仕事なども聞けるインタビューをしてもらえるというので、その人の好きな曲をリクエストして、インタビュー時間を待っていた。夜7時からの番組で少し過ぎたころにニュース速報として、この飛行機の墜落事故が流されたのであった。

 ニュース速報はすぐには終わらず結局その番組は流れてしまい、私の下心の有るリクエストは消えてしまった。それからテレビやラジオはこの事故のニュースばかり流れていて、すごい騒動になったのだった。

 あれから38年目の8月12日を迎えたのだが、塾の開塾年数とたまたま同じ歳回りなので、より私としては印象が強い。墜落原因は以前起こした尾翼下の隔壁の修理が不十分だったとかで、飛行中それが原因で尾翼が無くなり墜落したようだが、今は業績好調で元気な日本航空であるが、この墜落事故の重荷は会社が続く限り社員は背負い続けて、決して忘れてはいけない。

でも助かった人も何名かいるから、人間の運命とは本当に分からない。あの「上を向いて歩こう」の歌手、坂本九さんもたまたま乗っていて、帰らぬ人となってしまった。

 ユーザー会や研修で名古屋方面に出かける時は、定員は80名くらいの小さな飛行機を利用する。時期によってはJRより安くて便利なこの路線、だれが墜落するかもしれないなんて思って乗るだろうか、車よりずっと事故率が低いのが飛行機なのであるが、私は決してこの事故の事は忘れない。