わたしがブログを書く理由

特別お題「わたしがブログを書く理由

 

わたしがブログを書く理由」を最近考えていた。自分が感じる事や思いの丈を文章に替えてブログや新聞投稿蘭に掲載される事で、多くの知人や友人に「まだ元気でやっているから」という事を、知らせている役目も果たしてもらっているようにも思う。私もかれこれこの投稿蘭と、40年近いお付き合いをさせてもらっている。

 小学生の頃国語の試験で「次のお話を読んで感じた事を書きなさい。」という問題があった。どんな内容だったかは覚えていないが、私は問題の指示通り「あんまりおもうしろうない」と感想を書き、担任の先生に叱られた記憶がある。でもその問題で丸をもらっている友達は、自分の答えとは全く違う答えだったので驚いて、「ほんまにこんなに感じたが?」ときいたら、「塾でこういう風に答えなさいと習ろうた」というのであった。私は塾には通っていなかったが、子どもごころに「こんな問題ではほんとの気持ちを書いたらいかんのや」と学習したのだった。

 でも私はしゃべる事より文章が書くのが、好きな子どもだったのである。しゃべると私はどうしても心にもない事を口走ってしまいがちで、友達との誤解をよく招き孤立する子どもだったからである。かといって本の世界に違う現実を探したり求めたりする子でもなく、気が付けば自分の気持ちを文章にして、書き連ねる子どもだった。

 しかし、中学で私のその生活は一変するのだ。アマチュア無線を知ってしまい中学生の分際で国家試験に合格し、無線機の前で日本中の無線仲間と話をするようになったのだった。テレビのニュースインタビューなどで、アナウンサーが使う大人の社交辞令を覚えたのもこのおかげであった。だからその癖が友達と話すときに抜けず、少しからかわれた事もあった。しかし学校の先生は、私を中学生にしてはしっかりとした言葉遣いのできる生徒と評価してくれ、生徒会などに入れたのである。だから文章は話せるから書けるのだと思う。

 そんな私が今、文章の書き方なども塾で指導している。世の中とは本当に分からない。しかしこんな私にも今でも文章指導をしてくれる先生がいて、ありがたいことに叱咤激励をいただけているのである。

「たくさん読み、たくさん書き、たくさん捨てる。そしてじっくり時間を掛けて推敲しなさい。」先生の文章には足元にも及ばないが、私にとって文章などのブログや投稿を書く事は「たかが文章」ではなくて「やっぱり文章」なのである。