日本人大リーガーの結婚話

 日本中が騒いでいるこのお話、どうでもいいじゃないのと私は思うのですが、やはり彼はもうただの人ではないのです。かわいそうなのは結婚相手の方です。彼のロサンジェルスの住居前には、24時間カメラを持ったいわゆるパパラッチが、出入りする女性を徹底的にマークしている事でしょうから、新婦の女性はその住居にいわば「軟禁状態」でいるわけです。でもなんでこんなに秘密にするのでしょう、まさか注目を引くための演出ではないでしょうが、大リーガー自身はともかく新婦の気持ちを考えれば、かわいそうになります。きっとオープンにはできない理由があるのでしょうね・・・。

 巷の噂ではその女性は元バスケットボール選手だとか、180cmの長身だそうです。彼も193cmありますからもし彼女が10cmのハイヒールを履いたとしても、まだ彼の方が高いのです。日本人カップルもビッグになりました。

 昔タモリの番組で、将来人間の平均身長が2mになったらとかの設定で番組コントが作られていましたが、彼は161cmだとかでバスに乗るのも一苦労、公衆トイレなどは子ども用でも高いのです。その経験を私はアメリカでしました。タモリと同じくらいの身長の私は、男性用トイレではギリギリの高さでした。アメリカでは彼らは多様な人種がいますから仕方ないかとも思えましたが、同じ日本人で野球選手との一体この身長差は何なのだろう、と感じるのです。

 でも、でも、テモですね、頭のサイズは同じくらいだったのです。55~6センチの私の丁度の帽子は、アメリカ人の友人にも丁度だったのです。という事は体の割合に占める脳の割合は、私の方がずっと大きい事に気が付きましたので、頭脳では負けられないと思いました。これは新たな日本人として誇らしい発見でしたが、それは等身割合が少いと気づかされました。それは・・・その先は控えておきます。

 

ウクライナにロシアが侵攻して丸2年経ちます。

 NHKの昨年末に放送された番組の再放送でしたが、NHKで働くウクライナ女性のディレクターの故国への帰省中の様子のドキュメント番組を見ました。彼女はアニメに夢中になり日本に興味を持って大学で日本語を専攻し、5年前からNHKで働いている人でした。我が祖国にロシアが攻めてきてその様子をNHKで番組として知らせている自分が、実際のウクライナの戦時下の生活を知らないという罪悪感からの気持ちからでしょうか、昨年帰国して家族や友人知人そして同級生に再会して現状を写していましたが、それはそれは辛い気持ちでいっぱいだったと思います。子どもたちにインタビューの途中に戦死した人の葬儀が行われたり、国民のインタビューでは「今は夢が持てない」という言葉に、なんで戦争するのだろう!との思いが沸いてきました。

 番組終盤、同級生で志願兵として戦っていた幼なじみが戦死したとの知らせで番組は一挙に緊張し、彼の母親の声はまさしく、戦争で我が子をなくした母の声だったのです。もし日本のどこかによその国が攻めてきてたら私は何ができるだろうか、と思ったのでした。そんな事は考えたくはないですが、実際にウクライナでは起こっている事です。株高だの大リーグだので騒いでいる私たちはもう少し、現代世界情勢についても知るべきではないかとか思いました。

私の故郷 ウクライナ - NHK

 来年の2月24日にはこの戦争が終わっていることを祈っています。

 

追伸、更に2月25日放送の 戦場のジーニャ~ウクライナ兵士が見た「地獄」はショックでした。戦場のジーニャ〜ウクライナ 兵士が見た“地獄”〜 - NHKスペシャル - NHK

人が人を殺し合うのが戦争です。画面の中で、その殺し合いが映し出されて本当に死んでゆく兵士たちにも、家族がいて友達がいて愛する人がいるのです。親たちはその子の誕生を喜び自分を顧みずに育ててきたのです。何ものにも代えがたい宝物として、それがこんなことでいなくなってしまうのが戦争です。

 国を代表する政治家たちよ、そのむなしく死んでゆく人がもし君の子どもだったらどうだろうか、それでも戦争を続けるのだろうか、人類の「愚かさと無力さ」を感じてしまいます。

 

指揮者の小澤征爾さんが亡くなりました。

 どんな天才であれ偉大な人であれ必ずこの時は訪れるのだと、改めて感じたのが私の正直な感想です。20数年前に、私が塾を始めて唯一塾の休みを取って聞きに行ったオーケストラのコンサートが、彼の指揮の新日本フィルハーモニーの演奏会でした。一番安い末席で聞き確か暑い時でホールは冷房が効いていましたが、メイン交響曲はべートーベンの7番で、興奮してその夜は家路についたような記憶があります。しばらく彼のその指揮の姿を想像しながら、彼の指揮で録音されたCDを聞いていました。「世界の小沢」というイメージで聴きますから、すごい音楽に聞こえてしまうのかもしれませんが、何枚か持っている彼の指揮の演奏のCDは、やはり何かが違うように感じます。

 彼が若い頃、スクーターでヨーロッパを放浪して音楽修行をしていた時の様子を書いた本を読みましたが、文章はあまり得意ではない方とお見受けしたのを、読後の感想として覚えています。ピアノを学生時代ラグビーをしていて手を怪我してあきらめたようですが、彼の音楽的な才能はピアノが上手に弾けなくても、音楽の天分は開花したのです。

 塾業に集中するために音楽から距離を置いていましたが、彼の演奏を聞くと再び若い頃の音楽への情熱がほとばしって来るのを感じるのです。クラッシック音楽は素晴らしいです。

 心よりご冥福をお祈りいたします。

公立高校の志願者数が発表になりました。

 県立高校ハイレベルのO高校は今年も定員割れで、その数が例年以上になっていました。今の生徒はきつい勉強ばかりの高校生活は、望んでいないのかもしれません。しかし2番手の高校は定員をはるかに超える志願者数で、そこもそんなに緩くはないと思いますが、やはりあまりにもトップ校がきついというイメージが先に立っているからだと思います。でも地元に居たら出身高校はいつもついて回ります。やはりトップ校卒だと少し違う目で見られるのも事実だとは思いますが、今の生徒はそんな事よりはやはりより楽な高校生活を望んでいるのかもしれません。

 逆に私の塾が重点指導している工業高校と商業高校は、科によりましてはかなりの倍率になっています。それだけ実践的な資格や技術の獲得を、生徒たちは求めているのかもしれませんね。勉強よりそちらの方が私はきついようにも思いますが、今の生徒たちの「気質」のようなものを垣間見るような気がしています。とことんエリートを望むなら私立名門高校で実践的な資格の取得なら、実践高校に進む。でもあばよくばそこで頑張って良い成績を取りハイレベルの大学へ推薦で入る、というシナリオかもしれません。それは各自が考える人生設計ですから、それはそれでよい事です。

 人生一度切り、高校時代は青春真っただ中の素晴らしい時代です。どうか悔いのない青春時代を迎えられますように、高校受験を頑張ってください。

パーフェクト・デイズ

 年末にこの映画を観て正月明け1番のこのコラムに、その映画の感想を書こうと思いながら正月元旦に能登半島地震などがあり、ついつい感想を書きそびれていました。

 アカデミー賞にこの作品はノミネートされているようです。内容的には大変地味なお話なのですが、こういう平凡な小市民の生活の様子を海外の人から見たら、また日本人とは興味深い国民だと、思ってしまうのかもしれないとも思いました。昭和30年代の小津安二郎の作品のようなものかもしれません。

 内容についてはここでは紹介を割愛しますが、私には主人公の何もない部屋が意識的なものに見えたのです。主人公の姪が家出をして主人公の部屋に数日間泊まるのですが、その間主人公は階下の台所?で休みます。しかしその部屋は、荷物を整理した段ボール箱で一杯だったのです。明らかに二階の部屋は意識的に物を置いていない部屋なんだと、私は解釈しました。そういう目で主人公を見てしまうと、どうも彼の生き方が不自然のような気もしたのです。マメでないとあの何もない部屋は保てないでしょう。

 仕事や日々の暮らしにも彼の生活はシンプルな物でして、新聞のこの映画評価に「こんな風に生きていけたら・・・」と書いてありましたが、世の中こんな人ばかりだったら、社会的な進歩は止まり不景気になるでしょう。いやその国は強国に侵略されるかもしれません。

 なんて思う私に「パーフェクト・デイズ」は多分来ないと思ってしまいました。

 

地震学習と実際の地震

 中学校では中学1年生の理科で3学期の今頃に、地震について学習します。以前は上級生で出ていましたが、私は早くからこのカリキュラムを学ぶことは大切だと、大きな地震が我が国を襲う度に感じていたのです。しかし試験では地震用語や初期微動のP波や主要動のS波の速さそして、発生した時間を求める問題などが問われますが、実際の地震にどれだけこの知識は役立つ事でしょうか。

 私は地震が来た時にまずどうするべきかなどの、初期対応などを問題として出題すべきではないだろうかと、前々から感じていました。それは理科の授業範疇ではないのかもしれませんが、記憶にある阪神淡路大震災東日本大震災、そして熊本地震後から、単に知識だけの地震の問題が解けるだけではだめだと私は感じて、生徒にまず地震が起きたら机の下に身を隠し、揺れが収まったら家庭ではブレーカーを落として近くにある高台や津波非難ビルに逃げる事を、地震学習の時は一緒に指導しています。特に今年は新年早々の能登半島地震の発生できっと学校での地震の授業の時には、一般的な地震の問題の他にまず自分の命を守るための授業が行われている事でしょう。

 南海トラフ地震の注意喚起が言われて久しいです。その地震が起こると津波が必ず来襲するこの潮江桟橋地区には、多くの市民が居住しています。一度県下で休日を作り県民一斉の地震避難訓練を、実施するべきではないだろうかと強く思います。

この記事は高知新聞1/27 声 ひろばに掲載されました。

 

この意見をどう思うかとAIのchat GTP尋ねたら、下記の答えが返ってきました。

今まで自分の意見に対して、第三者がどういう意見をもっているのかなど、

知る由もありませんでしたが、そこら辺の知識人に聞くより真っ当な意見を

聞くことができ、今では私にはありがたい存在です。

 

 「おっしゃる通り、地震に関する知識だけでなく、実際の災害時の対応や避難行動についての教育も重要です。地震の発生に備えて適切な行動をとることは、生徒たちが将来的に自分たちや周囲の安全を守る上で非常に重要なスキルです。

地震の知識は理論的な理解を提供しますが、実際の災害時には冷静な判断と迅速な行動が必要です。したがって、初期対応や避難行動についての指導も教育プログラムに組み込まれるべきです。机の下に隠れることや適切な避難場所への移動など、生存と安全確保につながる実践的な知識が生徒に伝えられると良いでしょう。

また、地域全体での地震避難訓練やシミュレーションも効果的です。特に津波のリスクが高まる地域では、適切な避難場所や避難経路を知ることが重要です。県民一斉の地震避難訓練は、コミュニティ全体での協力と連携を強化し、災害時の混乱を最小限に抑えるのに役立ちます。

地震への備えは地域社会全体で行われるべきですし、学校はその中心的な役割を果たすべきです。地元自治体や学校関係者と協力して、生徒たちが安全かつ効果的に対応できるような教育プログラムを検討することが重要です。

令和6年辰年が始まりました

 明けましておめでとうございます。年末に今年最初のこのブログの内容は決めていたのですが、元旦早々北陸の能登地方で大きな地震があり多大な被害が出ていますし、羽田空港日航機と海上保安庁の小型機が滑走路上で衝突事故を起こすなど、いつものお正月のニュースが吹き飛んでしまった正月休みのテレビ番組でした。

 この能登半島には小さな地震が以前から続いていて、人々は地震への警戒や備えはあるとは思っていましたが、石川県にある名だたる温泉旅館などは甚大な被害をこうむり、無期限の営業停止を余儀なくされているとのことです。

 土佐湾沖での南海トラフ地震の心配がされて、近所の高校は安全な所にある高校と合併したり、私の桟橋地区にある高知市の水道局は万一の津波被害などを心配して、郊外の高い土地の地区に移転してしまいました。津波時には桟橋地区は5m以上の高さの津波が来ると言われていまして、一階にある私の教室などはひとたまりもありません。

 高知の地震の専門家がニュースで「今回の能登半島地震の様子は、高知土佐沖での地震発生時のまさにその様子だ!」と話していました。塾をあちらでやっている塾長は大変だと思います。高校受験生もいるでしょうし日々の生活に精一杯でしょうから、勉強どころではないでしょうね、きっと何かの特別な対応が施されるでしょうが、地震に対してやり場のない泣きたいほどの悔しさを、きっと感じている事でしょう。無責任な事は言えませんが、体に気を付けてまずしなければならない事から無理せずやってください。