外国人力士に学ぶ外国語習得法


      以前から、「なぜ外国人力士はあんなに短期間で日本語が上手に話せるのだろう?」と英語を教える者として不思議だった。「耳がいい、環境が日本語ばかり、若いから・・・」とか自分なりの分析結果は持っていたが、それは力士全員には当てはまらなかったのである。

   同じようにこの事を研究し、本にまとめた大学の先生の話を聞いたが、それは相撲界ならではの世界が影響していた。 (1)しっかりとした動機、外国から裸一貫で日本にやってきて一旗上げようという強い意志。(2)24時間日本語漬け(3)自分なりに工夫した勉強方法、の3つが特筆される。ハングリーの厳しい階級社会だから成せる業(わざ)であったのだ。 

    語学は大した目的もなくただ、見栄だけで学んでも身に付きにくいし、力士達が小さい頃から日本語を学んでいた訳でもない。環境とやる気さえあれば語学は小さくなくてもマスターできる事から、日本語もまだまだ不十分な子どもに、小学英語などを強要する必要などないのではあるまいか?過度の期待が子どもを余計にダメにしてしまうのだ。 

将来、英語を話せ難しい英単語が書ける事も確かに悪くはないが、きれいな日本語が話せてたくさん漢字を上手に書ける方が、ずっと日本人として役に立つ事は間違いない。



この文章は高知新聞6月6日 朝刊「声・広場」欄に掲載されました。



追伸、今は季節に一遍の投稿を考えています。今年三度目、のべにすれば何度目の掲載でしょうか?二十歳代から掲載されていましたから正確な回数は忘れました。新聞社に勤める友人が新聞社のデータベースで調べてくれた事がありますが、それが始まったのが十年くらい前でそれ以前のものははっきり分らない・・・とのことでした。
    ある方から「どうしてあんなに掲載されるのですか?」と聞かれて「投稿するからでしょう・・・」と禅問答のような返答をした事があります。できるだけ過激な表現は避け、大人の文章にしようとまた、みんなが納得する内容、展開、結論にしようと心がけています。でもこのブログを毎週書いているせいか、確かに文章表現は自分の書き方、表現が定まってきました。川端康成のような流れるような文章にはまだ程遠いですが、絹のような表現はすごいですね。まぁ、ノーベル文学賞の方ですから・・・

     今回はある公務員の最近良く投稿している人が、私の考えとは正反対のことを大した知識もなく投稿していたので、その方を間接的にしかもやさしく母の言葉の如く包み込みながら、完全にノックアウトしようと急遽投稿したものです。私も数年公務員をやった事がありますが、その間、新聞投稿は公務員という立場上控えておりました。ここら辺の感覚から私とは違うようで今まで取り合いもしませんでしたが、私の専門分野の事をあ〜までさらっと専門家でもない人に違う事を言われると、黙っていられなくなりました。でも私の文章の真意はあの方の文章力では、ご理解いただけないでしょう。
     その記事は高知新聞朝刊、6月3日(声・ひろば)に掲載されております。いかに私の文章が上記の考えで計算され書かれたもの物であるか、このブログをご愛読される方ならすぐお分かりいただけます。ありがとうございました。