「無知の知」

こんにちは、遅ればせながら「あけましておめでとうございます。」3週間ぶりのブログですが、この年末年始私は教室のパソコンがトラブリお正月から大変でした。

    親戚から割りと新しいPCを譲ってもらい、それを教室のネットワークに入れようとしたのですがなかなか入らず、LANの元となるサーバーをいじってしまい全部が繋がらなくなってしまったのです。原因は譲ってもらったPCのLANボードがおかしかったのが原因でした。確認していなかった私も悪かったのですが、幸いお正月から行きつけのパソコンショップが営業しており、正月料金もなく復旧していただきました。若い方でしたが、やはりプロはすごいですね、私もパソコンを教えたりしてそれなりのプロのつもりですが、ハード面のことやシステムの事などは全く分りません。ずっとここでPCは買おうと思うほどサービスしていただきました。

    パソコンを教えている生徒さんに私はよく「パソコンは買ってから結構手が掛かるので、電気の量販店やましてTVショッピングなどの通信販売などで値段だけで買わないほうがいいですよ・・・」と話します。確かに大きい所は1万円くらい安いですが、アフターケアーが受けにくい現状があります。ある人にそれを言うと「いやいやメーカー直の相談をいつでも受けられるサービスがあるから大丈夫・・・」と話していましたが、全国からそのデスクに問い合わせが来るわけですから、自分が聞きたいときに電話がつながらないのです。まず繋がりません・・・そんなことは買う前には分らないのですよね。でも地元で買っていればそこのお店に電話して係りの方に相談すれば、懇切丁寧に教えてくれます。パソコンは電気製品といってもテレビや冷蔵庫とは違うものである事をもっと啓蒙していかないといけませんね。自分に知識があれば話は別ですがそんな方は、電話のホットラインなど利用しないでしょう。


     英語を教えていると英語のことなら何でも知っているように思われ、横文字なら何でも英語と思ってかカタカナのことばを聞かれ、分らないので調べなおすとフランス語でした。パソコンも教室を開いているとパソコンのことなら何でも知っているように思われ、突然電話が掛かってきて難しいことを聞かれる事があります。分らない事は分りません、無知だとわかっています。でも無知だと分かっていない人は、全てを分からない私を無知だと思うのです。分らない事があるから分かろうと努力する、自分が無知だと分っているからです。「無知の知」とはそういう事です。しかし無知だと自覚していなくて分らない人はさも、眼科に行って産科の話を聞いているようなトンチンカンの質問をするのです・・・

     哲学の話になりましたが、ソクラテスの「無知の知」と言う言葉をかみしめたお正月でした。