塾の使命とは

 中間テストの結果を生徒たちが知らせて来始めた。その表情で大体想像はつくがあえて聴くようにしている。二学期の中間テストは、学校行事があったりして授業があまり進まないので範囲はそんなに広くなく、24年もやっていればどこが出るようなことはほぼ分かるから、試験前に予想問題として重要点はさせるから普通にやれば、本人が満足がいく点数は取れる。大半の生徒は自分の定める及第点を取り、中には塾に来始めた頃は5教科合計300点そこそこの生徒が、なかなか自分では出来ないリスニング英語問題などもしっかり指導し、5教科500点満点で490点ほど取れるようになった生徒もいる反面、あまり無理をさせない点数を目指したが、少数出来なかったりやっても試験になると解けなかったりして、不本意な成績を取ってくる生徒がいる。ただ努力は続けているから、塾に来ている成果は本人は感じているだろう。成績は学校からも連絡は行くし、塾として保護者にコメントするようにしてある。これは社会的な割合で考えても当たり前の事である。
 20数年前、塾を始めたころは今考えれば「上げ膳据え膳」の世話を焼いて、試験に臨ませていた。学校のプリントが持ってないと分かれば同級生から借りてコピーして渡し、分からないところがあれば休日返上で個人的に教えていた。結果は出る者もいたが、全く以前と変わらない点数の生徒もいたのである。すべて自分の責任と受け止め、次回は頑張ろうと同じように頑張ったが、結果は同じであった。かなり自分でも反省しやり方も変えて見たが、結果は同じで今思えば生徒にも原因があったのである。いつもながらに学校のプリントは保管できていないし、逆に塾で用意してもらえるからと、本人は全く学校で何もしなくなってしまった。その反省から私は「学校のプリントは試験で出るから大切なので大事に保管しておくように・・・」とは声をかけるが、それ以上のことはしないようにしている。たとえその行為が「サービスの悪い塾」と言われてもかまわない。私塾であるから本来塾は、その教室のカラーを強調すべきである。
 塾によっては、学校への提出物までの世話をしているところもあるようだ。講師一人なら20名くらいまでは何とかなるかもしれないが、生徒が増えるとそんなことがいつも出来るとは思わないし、在塾生の学校や学年が多様化してくると出来なくなることは見えていて、親切心でそうすること自体が生徒自信をダメにしているように思えてならない。しかし一度始めたサービスはなかなか止められないので、自分の首を自分で締めるようになりかねないのである。まして提出物のあるなしの情報は、どうやって手に入れるのだろう・・・?それが分かって言える生徒なら提出物を出さないような問題はないだろう。このような先の事も考えず、人がやって良かったという話を鵜呑みにし始める事は、大変危険であると付け加えたい。
 開塾当時にやっていた休日の個人指導なども、一人にやって他の生徒にやらないわけにはいかないから、もし今やってくれと言われたら私が潰れてしまうであろう。言い換えれば学校を休む生徒がいて学校に出て来いと先生はいうだろう。でも親の中には「来てもらいたかったら、毎朝迎えに来い!」と言った親がいるとか・・・そういわれてノコノコ迎えに行っているような事と同じように思う。過剰な親切やサービスは無意味どころか、有害なのである。でも最近はスクールバスまで用意している塾もあるから、時代は変わっているようだ。
 しかしこんな時だからこそ、保護者にも学校の先生にも存在感を感じさせるような塾長でありたいと思う。「君は塾ミシガンに行って小笠原先生に習っているのか、どおりで・・・」と生徒が学校でいわれるような塾にしたいし、塾長になりたい。
 塾の使命とは・・・と大きな題名を言ってしまったが、やはり生徒一人ひとりに柔軟に私の考えや実践方法を伝え、一番多感な時代に人間としてより大きく成長する手助けをし、さらにその親をも啓蒙していく事だと信じて日々努力している。