オリンピック

 冬期ソチオリンピックが閉幕した。月並みだが心配されたテロもなくいろいろなドラマがそこでは展開された。あえて入賞者などをここで取り上げるつもりもないが、代表として参加できた選手達の下には数え切れないほどの挑戦者達がいたはずである。
 フィギアスケートを考えてみよう、浅田真央選手は小さい頃に伊藤みどり選手に憧れ、ずっと練習してきたそうだ。そして20台前半の今もう引退するとか・・・、これから永い人生どうするのだろうとか思ってしまう。こんなメジャーな選手ならスケート以外でも道は開けるだろうが、同じように小さい頃からオリンピックを目指してスケートをやってきて、代表になれなかった選手もいるだろう。その人たちはスポットライトも浴びずに消えてゆく運命なのだ。将来近所のスケートリンクで子ども達とスケートしたら、スケートの上手なおばさんとして見てくれるかも知れないが、それではあまりにも小さい頃から、したいことも我慢して練習してきたスケート人生が、惨めなような気もする。もう少しそれらの経験を社会に役立てられないだろうかとか、もっと報われる道は無いのだろうか・・・とか思うのは凡人の浅ましさかもしれないが、小さい頃からスケートに励むくらいほかの勉強や努力もしたら、何事にも道は開け永い人生に役立つような知識や資格を、手に入れられることができるだろう。
 あなたは稽古事をどんな目的でどんな理由でいつまでお子さんにやらせますか、将来それでお子さんは飯を食えるようにさせられると思いますか、「プロ」にさせたいわけですか、親の夢を子供に押し付けてはいませんか、一度しかない人生ですからお子さんが将来を判断できるまでは続けても良いとは思いますが、ちょっと上手くらいでは「プロ」への道はそんなに甘くはありません。
 小さいころからのけいこ事が無駄とは決して思わないが、よほどの才能が無い限りけい事だけやって勉強はニの次というのは、心も体も育っていない若者には私は良くないと思う。やはり社会常識や生活基盤に必要な勉強の時間は持たせるべきで、そうすればその世界から将来放り出されても生きてゆける道がもっと拡がるに違いないからだ。