9年前のブログを読み返していました。

 ブログのこの頃は総合塾を始めて1年近くたった時です。経営が思うに任せず苦しい日々で自費で研修に参加していた頃だと思います。フランチャイズ(FC)塾にまだ在籍しその本部に見せられた夢を信じていました。でも一年たってもうまく行きませんから、何が悪い原因かわからず研修などでうまく行かない原因を考えていた時です。でも理由が見つかりませんから、自分を責めていました。研修では講師が偉そうなことを言って自己啓発を促し、自分も実践してみましたが何も変わらず、塾設立専門家と称する輩は契約を取ったら近寄りもしない。FC本部も何もしないし指導もない、借金は増えるだけ・・・結局はFCに失望して独立することになりました。研修をやっていたのは、自己啓発オタクのような方たちでした。
 当時同じように塾を始めてうまくいかず悩み脱落していった戦友の同輩塾長たちの多いこと、本部だけがこのようなFCでは儲かるようになっています。でもいまだに私と同じ夢を見てFCを続けている方も少なくないようですから、せめて1年くらいで生活できるようになるといいですが、それでも生徒が集まらず借金だけが増えるならできるだけ早めに撤退することです。いやそれでもやる気があるのならFCなどに頼らず、自分で手探りでも始めることです。加盟金やその他で違う役立つことがいくらでもできます。これが私のこの10年の経験談です。

2005年 9/16 ブログより「塾道開眼!」塾道はセイフティーバントと見つけたり!

先週岡山での塾長研修に参加し、初心に帰って教室運営に従事できている。目的意識をはっきり持って1年後、3年後、5年後の自分や教室の姿をイメージしこのようになりたいと具体的に紙に書き、しっかりインプットしてきた。

  今まで場当たり的な運営や指導が中心になっていた事を反省する。すぐ目の前にあるテスト結果をまず考え、生徒一人一人の個性や能力、将来性などをあまり考えずに、目先の事だけに突っ走って来たのだ。高校受験は必ずやって来る。合格するような指導をするのは当たり前かもしれないが、あまりに塾が何もかにもやってしまって、生徒は与えられた事しか出来なくなってしまっているのではないか?と大手塾のやり方を見ていてよく思ったものである。逆に塾なしでは勉強できない生徒を作ってしまっているのである。本来学習とは自分でその目標に向かってこつこつ努力していき、躓いたり悩んだりした時も側に居るものがアドバイスを与えるくらいで、自分で解決の道を見つけるものなのである。やってみてだめだったら違う事を試してみる、それでダメだったらまた違う事をやってみる・・・先人たちはそうやって、だれも歩んだ事のない世界を切り開いていった。
  危ないからと言って子供にナイフを持たせない、自転車に乗らせない、子供達だけで遊ばせない親がいる。いつまで側にいるのだろう。ナイフは間違って使うと怪我をしてしまう、痛いと知っているから決してそれで人を刺したりしなくなる。自転車に乗り始めは転ぶものである。転んだら痛いから転ばないように乗ろうとする。子供達同士で遊び彼らなりの世界を形成し、その中で社会のマナーやルールを学ぶのだ。

  人間の寿命が延びた分人間の成長が遅くなった感じさえする。戦国時代だったら50歳の私は死を直前にした、老人かも知れない。しかしそんな自覚は全く無い。若作りしているつもりも無いが、友人の中には歳相応以上に見える人も少なくない。孫が居る人もいる。別に早く歳を取りたいわけでもなく孫がすぐ欲しいわけでもないが、精神年齢は常に若者でいたいのだ。ある人が言っていたが、体型が変わらずヘアースタイルを変えなければ、その人のイメージは若いときのまま保たれるようである。そういえば俳優なんかで意識的にそうしていると思われる人は多い気がする。