物価とは

 最近の物価がどうもわからない。大手企業は今までの最高の売り上げを記録し労働者の賃金も上がっているようだが、スーパーなどに行くと確かに食品は上がっているようでも、消耗品などはかえって安くなっているのではないかとの気がするのである。特に100円均一ショップなどに行くと、「こんなものまでが100円?」と首をかしげるのだ。物価は安いに越したことはないがあまりに不相応な値段がその商品についていると、「この値段のいきさつの裏には多くの人の涙があるのではないか・・・」などと私は思ってしまう。安いとは言っても値段には人間としての許容範囲があり、安すぎるのには逆に嫌悪感すら感じてしまうのである。 
 100円ショップがあるから100円食堂ができても良いと思うが、それはできない。何故だろうか?大学の学生食堂ならともかく食堂には、原価以外に必要な経費が要るからである。今の時代100円食堂では大した食事はできないし、サービスも良くないだろう。安すぎて更に衛生面などにも大きな心配を感じるのは、現代の普通の感覚の人間としては当たり前であろう。そしてプライドもあるかもしれない。近所に300円食堂があったとして「100円食堂に通っている人間とは、300円食堂に通っている自分は違うのだ!」という気持ちも多分あるだろう。その食堂の看板にはっきり値段が書いてあれば余計にそう思うかもしれない。「安すぎる」というのはやはり不自然なのである。
 塾の授業料もしかり、価格破壊的な授業料のただ安い塾はどんどん淘汰されているのが今の時代だ。しかし、あるベテラン塾長から「近所にとんでもなく値段の安い塾ができて驚いている・・・。」というような相談を受けた。資料も見たが信じられないくらい安くて、システムも便利で科目も学年も、大手と引けを取らない宣伝をしているのだ。そして不自然なほどに安すぎるのである。それをできるのはプロとしても何かある・・・と感じるのは当たり前だろう。ひょっとして大金持ちの塾長が趣味でやっているのかもしれない・・・。
 ベビーシッターに子どもを預けるだけでも時間1000円以上いる時代に、塾で授業を教えて成績を上げさせて進学までさせる塾がどうして時間1000円以下で預かることができよう?そこで教えている講師の時給も授業料に密接に関係しているから、安すぎる所と普通の値段の所では当然講師のモチベーションもレベルも違ってくる。値段の安い生徒はどんどん増やさないと教室は運営できないから、どんな生徒も入って来る。しかし経営者は競争に勝つために授業料は安く続けて生徒を増やし教室を増やし、講師を増やし続けようとしているのである。自習室なるものを作ってそれで時間稼ぎをしているかも知れない。傍から見れば流行っている塾に見えるかもしれないが、中身はそれはそれは大変な状態だろうと推測できて、いずれ破たんするだろうことは安易に想像できる。要は教え過ぎず塾漬けにせずに、塾長が責任を持てる範囲の生徒数を「自分で考え自覚して勉強できる子どもに育てる」のが、本当の塾教育なのである! ある程度の値段で定員のある生徒数を永年信用のある塾長が、ずっと地域に根ざしてやっている塾の方が間違いないでしょう。値段が安いからと入っても塾漬けにされてその塾でしか勉強ができないお子さんにされては、何にもなりません。そしてあなたのお子さんのステータス(環境・地位)も考えるなら、安すぎるものはお子さんに恥をかかせるかもしれません・・・。現に「月6万、時間3000円の塾に通わせている」と聞いたら、その家は教育に関してステイタスの高いお家だろうと思うように、逆に高3生を時間1000円以下で預かる教室などどんなうわさが出ているかわかりませんし、講師の時給を考えるとかわいそうになってきます。ですから講師は続きませんからそういうところはいつも講師を、一般世間では目につかないところでしょっちゅう募集しています。でもベテランの講師希望者はそれはわかっていますから、集まらずそこで集まる講師は経験のない未熟なボランティア的な講師かもしれません。その中で講師は原付バイクや自転車通勤なのに塾長は、高級車に乗っていたりする事を生徒は知らないから始末に悪い。
 ご相談の塾長さん、あなたのやり方を信じてそれらの安さなどに惑わされず、長年の信用あるやり方でお続けください。きついのは今だけですからそれで最後は大丈夫です!