道後温泉と夏目漱石

 先日日帰りだが松山の道後温泉に出かけた。というのも先月だったか100円ショップで買い物をしていて、夏目漱石の「坊ちゃん」が100円ブックで売られていた。高校時代に国語の教科書で一部を読み、夏休みの課題図書で読んだ記憶がある以来の活字本だ。恥ずかしながら内容はあまり詳しくは覚えていなかったので、あっという間に面白く読み舞台となった道後温泉を訪れたくなったのが本音なのだ。そこは昔ながらの温泉街の風情が残っていたが、やはり休日だったので観光客でいっぱいであった。目当ての道後本館の湯には前に入った事があるので入らなかったが、少し離れた同じ源泉の椿の湯で体を温めた。
 ふと「坊ちゃん」の世界がよみがえり昔道後温泉に、夏目漱石も来たのかなどと思うとうれしくなったのである。伊予弁は同じ四国でも土佐弁とはかなり違うから、「坊ちゃん」で主人公が話す江戸弁とは全く違う、なよなよした伊予弁にイライラする様子が描かれているが、これがもし土佐が舞台ならまたストーリーは変わっていたに違いない。私もたぶん伊予の国には住めない人間だろうと思う。
 人間、夏目漱石道後温泉で考えてみた。幼いころから里子に何度か出され最終的に、祖父母と思って引き取られたのが実際の父母だったという特殊な環境で自分探しに書物を読みあさり、これからは英語の時代と悟って英語で西洋人を見返してやろうと一大決心をして勉学に励み、東京大学の英文科を卒業するのだからやはり梵人ではないのだろう。挫折を繰り返しながら不本意だが松山や熊本で英語の教鞭をとり、政府から国費の英国留学生に選ばれて留学するが、当時の進化論から間違って発展した白豪主義にさらされて人種差別を受け、神経症を患い大した成果もあげられずに帰国する。世帯もすでに持っていたが何もできずぶらぶらしていたら、家にいた猫からヒントを得て38歳で「吾輩は猫である」で文壇デビューし、49歳で亡くなるまでの11年間に素晴らしい後世に残る作品群を残すのである。人生とはほんとにわからないものだ。
 夏目漱石自身、若いころ何をしてよいのかあまりはっきりわからなかったようだが、正岡子規高浜虚子などの友人もいてやはり心に素直に生きたから、天に導かれた人生を歩んだ人のように思えるのだ。
 今日は偶然にも公立高校入試日である。今まで塾でも頑張ってきたから、どうか自分で決めた進路に向かって全力で頑張ってほしい。きっと天は自ら努力する人を良い方向に導いてくれるだろう。受験生頑張れ!