夏目漱石 2 「こころ」 今年は没後100周年

 先週夏目漱石の「坊ちゃん」から松山道後温泉を訪問し、私なりの夏目漱石について少し書かせていただいた。後日ある塾長から「小笠原先生の書かれた先週のブログは、大変わかりやすい夏目漱石の一生にまとめられていますね。私は夏目漱石が好きで彼の作品は読破していますが、やはり彼の晩年の作品は「吾輩は猫である」や「坊ちゃん」とは全く違った内容で、その中でも「こころ」は深いです。出版以来今も売れ続けている本なのです。」というお言葉をいただいたのである。確かに調べてみると太宰治の「人間失格」とともに、今だに売れている作品であった。
 「こころ」は私も高校時代に国語の恩師から「ぜひ一度は読んでおくといい。」と勧められながら上・中・下巻の長編話と知るや否や、逃げるように私は文学とは無縁の世界にいたのであった。でも昨年高知で国際バカロレア教育を主体とする中学高校ができるシンポジウムに参加して、その高校での国語の授業としてこの「こころ」が教材に選ばれ、必読書としてじっくり内容について討論する授業が行われると知り、この作品は私の心の中に再び存在し始めたのである。
 今読み始めたがなかなかユニークな話だ。先生と私がいてそれらを取りまく人々の話であるが、昔はこんなに簡単に見ず知らずの人と知り合いになれて、家まで上がり込み金など借りることができたのだろうか・・・などと思いながら、いま上巻を読み終え主人公の家族の様子を描いた中巻を読んでいる。今ならこのような出会いはお友達詐欺商法で疑われるだろうが、作品は何か惹かれる内容で映像人間の私は小津安二郎の映画にでも出てきそうな、モノトーンの映像シュチエーションを想像するのである。
 塾の講師として夏目漱石の代表作品は・・・というような文学史の問題には答えられるが、内容を聞かれるとほとんど答えられない塾講師が多いのではないだろうか。やはりここら辺が我々が社会的に「知識だけで知恵がない」というような、評価しかされない原因があるようにも思う。
 全国の塾講師諸君、理系文系関係なくもう少し我が国の日本文学により深く目覚めようではないか!
今年は夏目漱石没後100年だそうだ。まったく知らなかったが今年より深く接することができたのも、何かの縁を感じている。

 <追伸>このブログを書きUPしたのは3/9で連載日の金曜日が3/11でした。このようなノーテンキな文学の話などしている自分を責めても仕方ないですが、未曾有の被害をもたらした東日本大震災から丸5年、自然の営みですから仕方ないとしてもやはり原発事故は、人災かもしれません。でも確かに電気がなければ我々は生きてゆけませんから、同じ事故を二度と起こさぬようにする事しか今は浮かびません。お亡くなりになられた多くの方々に心から哀悼の意を送ります。