知人の葬儀に参加して

 高校の同級生で老舗旅館をバリバリ経営し、高知県下の観光業や旅館業で活躍していた知人が先日亡くなり、昨日その葬儀に参列していた。ここ数年のコロナ禍での疲労が、彼の体に病魔の侵入を許したのかもしれないと思った。彼が亡くなったことは新聞紙上でも出たので、葬儀はすごい人であったのだ。あまりの人の多さに彼の人生を垣間見る思いをしたのだが、彼はこのような盛大な葬儀を望んでいたのだろうか、とか思ってしまったのである。彼も優秀だったからかお子さんもたいへん優秀な様で、田舎の老舗旅館を継承するのも憚れる仕事を今しているようで、彼やその父が永年守ってきたその旅館は廃業になったそうである。

 人にはそれぞれ生まれ持ってきた「使命」が私はあると信じている。私の仕事だってそうであるが、自分しかできない仕事と信じて毎日頑張っているが、歳を取ってくると「この仕事を将来どうするべきだろうか」と考える時もある。元気なうちはそして私の塾に来たいという生徒がいる限り、天は私にこの仕事を続けさせてくれるものだと信じている。先日も元生徒の保護者の方に「小さな塾だけどすごくいい塾だから」と紹介されたのでと、入塾してくれた生徒がいた。

 やはり創立者の私が直接全員を丁寧に指導しているからだと思う。企業なら組織があり創業者の意思は社員につながってゆくであろうが、塾は講師の仕事が大半であるから、私の責務を若い経験もない学生アルバイトなどに、私を慕ってきてくれた生徒に任せるなど決してできない。あるお母さんに相談を受けて40年近い経験から真摯にその相談に乗った後そのお母さんが「やっぱり小笠原先生は違いますね、私たちの気持ちもお考えになった、わかりやすいお答えをいただけました。前の塾ではただ私の子どもに非があり、塾ではどうしようもないと言われ悲しかったのです。」と言っていました。その話を若い講師に言われたとかで、余計気持ちは辛かったそうです。

 塾はお子さんを預けて終わりではありません、中には半年で結果が出ないとダメな塾だと烙印を押し退塾する生徒もいますが、何年もかかって分からなくなった勉強が半年そこらで全員が良くなれば、苦労はしません。ですから私の塾は逆にそのような生徒を入れない塾なのです。試験に出る問題ばかり丸暗記させ成績が上がったところで、実力が付かなければそして自分の意思で勉強ができる力が備わなければ、その生徒は結局苦労します。塾はやはり塾長で決まるのです。

 亡くなった知人もきっと何か大切なものを、今回仕事を継げなかったお子さんに残したであろうと思いたい。そしてその残したものは亡くなった知人の孫の代にでもまた、旅館業か何かで出現しそうな「輪廻転生」を感じる私である。