文章を書くという事

 

「人はなぜ文章を書くのだろうか」とか最近考えていた。自分が感じる事や思いの丈を文章に替えてこの声・ひろば欄に投稿し掲載される事で、多くの知人や友人に「まだ元気でやっているから」という事を、知らせている役目も果たしてもらっているようにも思う。私もかれこれこの投稿蘭と、40年近いお付き合いをさせてもらっている。

 小学生の頃国語の試験で「次のお話を読んで感じた事を書きなさい。」という問題があった。どんな内容だったかは覚えていないが、私は問題の指示通り「あんまりおもうしろうない」と感想を書き、担任の先生に叱られた記憶がある。でもその問題で丸をもらっている友達は、自分の答えとは全く違う答えだったので驚いて、「ほんまにこんなに感じたが?」ときいたら、「塾でこういう風に答えなさいと習ろうた」というのであった。私は塾には通っていなかったが、子どもごころに「こんな問題ではほんとの気持ちを書いたらいかんがや」と学習したのだった。

 そんな私が今文章の書き方なども塾で指導している。世の中とは本当に分からない。しかしこんな私にも今でも文章指導をしてくれる先生がいて、ありがたいことに叱咤激励をいただけているのである。

「たくさん読み、たくさん書き、たくさん捨てる。そしてじっくり時間を掛けて推敲しなさい。」先生の文章には足元にも及ばないが、私にとって文章を書く事は「たかが文章」ではなくて「やっぱり文章」なのである。

 

このコラムは高知新聞9月25日読者欄に掲載されました。