#778  やしきたかじんの歌からカラオケ道へ

 先日テレビでやしきたかじんの半生のドラマをやっていた。史実に基づくフィクションと番組では書いていたが、私が話で聞いている事よりも、少し大人しく作り上げていたようにも感じたのだった。でもめったに現れない人物だろうと思う。

 やはり彼の歌っていた歌に興味が沸いて、少し自分なりのアナリーゼ(楽曲解析)をしてみた。彼のヒット曲は彼自身の作品ではなくて、メロディーやコード進行の展開そして、歌詞における状況がどっかで聞いた曲のような気がしていたらやはり、ヒットメーカーの作品だったのだが、彼の声質そして歌唱方法は独特で、その個性が曲を圧倒していて彼自身しか歌えないような、世界観の曲に仕上がっているのである。

 今思い返せば彼のハチャメチャな性格は、彼の歌に出てくる男性そのもので、少し上ずるビブラートの声質は、歌に出てくる弱い女性主人公の少しの幸福感や希望を現わしているように、私には聞こえるのである。泣ける歌のようだけど出てくる女性は、その瞬間幸せなんですね。それを大きく歌で感じさせたくて日ごろの彼は、ハチャメチャできつい性格を演じていたような気もするのです。

 私は松山千春の「恋」や上田正樹の「悲しい色やね」を永く歌い続けているが、若い頃とは明らかに歌唱表現は変わってきた。昔は少し怨み節のような歌い方であったが、今はそれを乗り越えて今は幸せだから、と伝えたい歌に変わってきたのである。「恋」はメジャー(長調)の曲だが怨み節のような悲しい内容の歌だし、「悲しい色やね」はマイナー(短調)ではあるが途中から曲調は明るくメジャーになるが声はフラット気味に歌わないと明るくなりすぎるから、カラオケといえども表現方法はむつかしいし、ただテクニック的にうまいではつまらない私である。

 元来カラオケで日本人は不幸な環境の歌を演歌などで歌いながら、本当の今の自分は幸せではないけれど、この歌の主人公よりはましだ・・・と慰めながら歌っているのだ、と気が付いた私である。カラオケもこんな風に考えるとまさに「カラオケ道」そのものである。